かれらにすれば、むこうに着けばどうせ戦闘員になるのだ、いざ砲煙の中に入れば兵士や警官などに負けるものか、という気概があった。
かれらは名義こそ人足とはいえ、朱鞘や黒鞘の長刀を帯び、なかには家重代の槍をもってきている者もいた。かれらは薩摩隼人の武は世界一だと信じていたし、それを信じて疑わないところに、薩摩兵児の滑稽ながらもとびきりの美質があったといえるであろう。
ただ、かれらは人足として事実上こきつかわれるとは思わなかった。大倉組の現場監督は容赦会釈なしにかれらをこきつかった。
「そのタクアンの樽を運べ」
と、平民の監督からどなられて、憤然と抗議する者もいた。タクアン樽だけでも千五百樽というぼう大な量だった。
「武士に、そういうことをさせられるか」
と、壮士団の口ききが、・・・・・・・
武士の怒り爆発、翔ぶが如く。
翔ぶが如く襲い、翔ぶが如く退く、薩摩隼人。
いやぁ、なるほど。
264年、身分のトップにいた階級の武士が、維新になったら身分を削がれる。特にかれらが奔走して幕府を倒し、引き続き戊辰戦争では命を張ってきた。その見返りがないばかりか、四民平等で身分を削がれ、廃藩置県で主君をなくされ、廃刀令で刀をとられた。
一方、政府の高官は私腹を肥やし、尊皇攘夷の名目で幕府を倒したはずが、気付けばその高官達は自分の家として洋館を建てている。さらには自分達が崇拝する西郷先生を暗殺する、という。
こうしてラスト・サムライ達が動いたのですな。
日本最後の内戦、西南戦争。
ところで、 上記の下りを読んでから、
タクアンが異様にうまい。(毎食食べてる)
実は、タクアンは大根だった!!!!!!!