おもしろき こともなき世を おもしろく

  1. 粋華志義
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【人間力番外編】人間が人間を批判すること

政治のことは、こうした場で意見を言うべきでは、ない。

ただ、国でも、社会でも、会社でも、家族でも、サークル、その他人間関係が作るあらゆる団体には、とある共通した“自然な流れ”があるようだ。「こうしたら、こうなる」というものでもあり、「こうなったら、こうすべき」というものでもあり、人間が作る集団(サークルでも、国でも)であるのだから、当然、それら人間が生み出す集大成というのが現実、というのが常にある。近頃、こうした人間、というものにどうしても考えさせられる。

これらは、いつだか(それも最近)も言ったことで、歴史の本を読んでいると意外にもそんな部分がぼんやりとでも解ってくるようなのであります。例えば、今の日本人の性格は、江戸時代の人間が持っていた性質を多分に引き継いでいる。それは、実直、完璧主義、潔さ、分際、質素、礼儀作法、律義、“恐れ入る”習慣・・・など色々挙げられるはずだ。それは江戸時代という文化(仕組み、ともいっていい)が日本人に植えつけた性質であるとも言えそうです。何せ、東京の歴史は今日142年、江戸の歴史は265年ですからその長さは推して計れるものでしょう。

その江戸時代も、徳川家康が興した。徳川家康というのはご存知三河(愛知県東部)の出身で、江戸時代のあらゆる仕組みについて、当時すでに老齢だった家康は「諸事、三河のやり方でゆけ」と、江戸幕府についての仕組みをいちいち“三河風”にした。それが、江戸時代である。さらに言うとこの三河というのは家康の当節 北は武田氏、東は今川氏、西は織田氏に挟まれ、あるいはその前時代からも常に強敵が隣国におり、さらにはその土地柄もあり、とにかく三河人の“性質”というものができた。それが、今の日本人なのである。

例えば、あの時なにかひとつ間違って織田信長が討たれなかったとする、とどうなったか。これはよく話にあがりそうなネタでもありますが、ひとつには現代の日本人はもっとオープンで、自己主張が強く、商売上手で・・・、といった別の性質が出てきたかも知れない。もっとも、信長の作ったとする幕府なり政治が、家康の江戸時代ほど長くは続くかと言うとそれも疑問であるのですが・・・。

ともかく、歴史を読んでいる人、というのはただ“それだけ”ではないように思える。自然とその組織の性質、もっと言えば人間の性質、もっと言えば人間の良いところ、悪いところ。具体的に言うと、こういう窮地にたった時は人間はどういう反応を今まで起こしてきたのか。人がその行動を起こすと、周りの人にはどんな影響が出るのか。それが日本史であれば、その性質が直“日本人の性質”にあてはまるもので、とにかく人が起こす傾向が大まかに読み取れてくるようであります(意識する・しないは別として)。

かと言って、某が何が解るわけでもない。この筋の専門家でもあるまいし、研究をしているわけでもない。研究しているわけでもないが、ただ、自己啓発はしている。それも、その始めは14歳の頃からしているから、ある程度はイタについてきたと言えるのかも知れない。

例えば、本日の主旨で言うと、こんなものが某にとっては印象深い。

第一次大戦直後のこと、わたしはある夜、ロンドンで貴重な教訓を得た。当時わたしは、ロス・スミス卿のマネジャーをしていた。ロス・スミス卿は、大戦中パレスティナの空中戦に輝かしい武勲を立てたオーストラリアの空の勇士で、終戦直後、三十日間で世界半周飛行の偉業をなしとげ、世界をおどろかせた人である。

当時としては破天荒のこころみで、一大センセーションが巻き起こった。オーストラリア政府は彼に五万ドルの賞金を与え、イギリス国王は彼をナイトに叙し、彼は英帝国の話題の中心となった。

ある夜、彼のお祝いのパーティーに、わたしも出席していた。みんながテーブルについたとき、わたしのとなりにいた男が“人間が荒けずりをし、神様が仕あげをしてくださる”という引用句に関係のあるおもしろい話をした。

その男は、これは聖書にある文句だといった。しかし、それはまちがいで、わたしはその出典をよく知っていた。そこで、わたしは自己の重要感と優越感を満たすために、彼の誤りを指摘する憎まれ役を買って出た。

「なに?シェークスピアの文句?そんなはずはない!ばかばかしい!聖書のことばだよ!これだけはまちがいない!」

彼はたいへんな剣幕でそういいきった。その男は、わたしの右側にすわっていたのだが、左側にはわたしのむかしからの友人フランク・ガモンドがすわっていた。ガモンドはシェークスピア研究を長年つづけてきた人だったので、ガモンドの意見を聞くことになった。

ガモンドは双方のいいぶんを聞いていたが、テーブルの下でわたしの足をそっと蹴って、こういった。

「デール、君のほうがまちがっているよ。あちらの方のほうが正しい。たしかに聖書からだ」

その晩、パーティーからの帰り道で、わたしはガモンドに向かっていった。

「フランク、あれはシェークスピアからだよ。君はよく知っているはずじゃないか」

「もちろんそうさ。“ハムレット”の第五幕第二場のことばだよ。だがね、デール、ぼくたちは、めでたい席に招かれた客だよ。なぜあの男のまちがいを証明しなきゃならんのだ。証明すれば相手に好かれるかね?相手の面子のことも考えてやるべきだよ。まして相手は君に意見を求めはしなかっただろう。君の意見など聞きたくなかったのだ。議論などする必要がどこにある?どんな場合にも鋭角は避けたほうがいいんだ」

この友人はわたしに生涯忘れられない教訓を与えてくれた。わたしはおもしろい話を聞かせてくれた相手に気まずい思いをさせたばかりか、友人まで引き入れて当惑させてしまったのだ。議論などしないほうがどれほどよかったかわからない。

生来わたしはたいへんな議論好きだったので、この教訓は実に適切だった。若いころ、わたしは世のなかのあらゆるものについて兄と議論した。大学では倫理学と弁論を研究し、討論会に参加した。おそろしく理屈っぽくて、証拠を目の前につきつけられるまでは、めったにかぶとはぬがなかった。

やがてわたしは、ニューヨークで討論と弁術論を教えることになった。今から考えるとひや汗が出るが、その方面の書物を書く計画を立てたこともある。その後、わたしは、あらゆる場合におこなわれる議論を傾聴し、みずからも加わってその効果を見まもってきた。その結果、議論に勝つ最善の方法は、この世にただひとつしかないという結論に達した。

その方法とは――議論を避けることだった。毒蛇や地震を避けるように議論を避けるのだ。議論は、ほとんど例外なく、双方に、自説をますます正しいと確信させて終るものだ。

議論に勝つことは不可能だ。もしまければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、やはり負けているのだ。なぜかといえば――仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる?

――やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。

――「議論に負けても、その人の意見は変わらない」

なるほど、これが人間の持つ“本質”であるとすれば、かの明智光秀のとった行動も、自然な行動、と思える。人間が起こす“自然な流れ”と思える。先の話で言うと、この人間の本質を知らなかったのが信長、知っていたのが家康、と分別できるかも知れない。例えば、こうだ。

知多半島の東の沖に、佐久島という漁村三つばかりの島がある。家康の船がそこを通るとき、島影から一艘の早船がすすんできた。 「あれは、永井伝八郎かもしれない」 と、船楼から海面をながめていた家康はいったが、他の者はどうのびあがっても豆粒ほどのその人影がよくみえず、まして目鼻まではわからない。しかし近づくにつれ、それが伝八郎であることがあきらかになった。

酒井忠次は家康が言いあてたことがふしぎでならず、しかしちょっとばかにしたような顔で、

「殿は左様か、あの伝八郎を夜伽童になされたことがござるのか」

と、きいた。寝所で愛すると、たがいの心が雲間でさえ通いあうという。それにしても忠次は無礼であろう。この徳川家譜代の老臣で家康にとって叔母婿になる忠次は、かれの讒言によっておこった例の信康(家康の息子)の詰腹事件ののちはさすがに首尾悪くおもい、家康に対しても以前のように不遜な態度をとらなくなったが、それでもときにそれが出る。このときも、そうであった。


(ばかな男だ)

と家康は忠次の肥った顔を見、やがて視線を渥美沖にうつし、眉を潮風になぶらせた。家康は、話題をそらすために、

「腹がへったな」

と、べつに空腹でもないのに、つぶやいた。じつをいうと、永井伝八郎は、故信康の稚児だった男なのである。

家康はこの場合、
――永井伝八郎は、わしが伽をさせたのではない、死んだ信康があれを可愛がっていたのだ。

と、そういえばすむ。座談としてはそれで完結するが、しかしそれを言えば、あらたな政治的事態が出来する。言えば、酒井忠次の想いはどうであろう。信康が詰腹を切らされたのは、この忠次が信長に讒訴したからであった。が、家康はその後もそれをずっと不問に付した。

いまここで、家康が、

「永井伝八郎は信康が可愛がっていた。いわば信康の形見のような男ゆえ、わしも目にかけている。平素、目にかけているから、目鼻のみえぬこういう遠くからでも、あれは伝八郎だということがわかるのだ」

と言ってしまえば、酒井忠次はおそらく、

(殿はまだわしをお恨みであるのか)

と、そこへ邪推し、邪推がしだいにひろがって、ついには、

(この殿に仕えていても、こう恨みっぽくおわしては、将来、どういう復讐をうけるかわからない。いっそ、いまのうちに反逆するにしかず)

と、おもうにちがいない。摂津伊丹城で信長に反逆した荒木村重も、このたび本能寺の凶変をおこした明智光秀も、もとはといえばそういう疑念が核になって想像をふくらませ、ついにはおのれの滅亡を幻想するようになり、やがては彼等自身の想像がつくりあげた絶対絶命の窮地から自分を救出させるには、信長を殺す以外にないとおもうにいたった。

村重や光秀からすれば、反逆は正当防衛であったであろう。殺さねば、いずれは殺されるのである。家康からみても、あの両人の心情は十分察することができる。信長は、そういう大将であった。信長はかつて酒井忠次の讒言を信じ、家康にその子と妻を殺させた。それほどの目に遭った家康こそ反逆すべきであり、げんにあの直後、信長は家康の動静をこまかく観察していたにちがいない。

が、家康は強靭な筋肉質をもった自己防衛上の意志計算力をそなえていた。家康は、信長という危険な存在に対してすぐれた心理学者のようにふるまい、信長の心理が危険な傾斜をおこさぬよう、そのために必要なあらゆることをした。信長への尊敬心の持続については以前以上に気をつかい、以前以上にそれを表現した。

信長に対する同盟者としての忠実さについても同様であった。徳川軍団は、本宗の織田軍団よりも戦場でよくはたらき、つねに一戦場における戦死者の数も多かった。信長が武田氏をほろぼして東海道を凱旋旅行するときの家康の気のつかいようは、信長を感動させた。

本来なら、信長も、今目の前にいる老臣の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であるとおもったときには自分は自滅するということを家康は驚嘆すべき計算力と意志力をもって知っており、片鱗もそう思わないようにしていた。片鱗も――というのは、片鱗でもそうおもえば、人の心というのは感応して酒井忠次にもひびく。

忠次はすぐさま、明智光秀になるにちがいない。忠次も有能な男であり、光秀にいたっては天下の偉材であった。そういう男であればあるほど、そういう感応力が高く、感応すればじっとしていることはしない。家康の身にも、本能寺ノ変はおこりうることであった。

(一面、片鱗だに思わねば、信長にとって光秀は宝をもちこんできてくれるよき家来でありつづけただろう。酒井忠次もおなじだ)

と、家康はおもっている。げんに酒井忠次とその酒井家は、家康やその後の徳川家に対して必要かつ十分な忠誠心を持続しつづけた。

家康という人物は、決して自分自身を自由で気随な状態において解放してみたことはないようであった。人のあるじというものほど本来、不自由なものはないということを、この男は年少のころから知っており、自分をそう規制してしまっているのにちがいなかった。

かれは、永井伝八郎という若者を、ひそかに他の家来以上に愛している。

――あれは、信康の形見だ。
とおもえば、心の内側が湿ってくるような思いまでするのだが、しかしこの場合、

――伝八郎というのは、そうだ。
ということさえ、家康は口に出すことを自分に禁じているほど、かれは自分の自由を制限していた。彼によると、人のあるじというのは、どうやらそういうものであるらしい。

これらの物語を見てみると、果たして「批判というものはどうやら、しない方がいいらしい」という風に思えてくる。どちらにしても個人的な感想を言うと、外(ハタ)から見ていて批判ほど滑稽なものはない。

例えば、今日の状況でもそうだ。かの人を批判する人が多いが、そういう人に限って、自分の意見というものがない。自分の意見がない限り、批判は“批判”でしかない。批判だけでは当然、そこから生まれるものがない。こういう人は、自分が批判している人なりの立場が、到底理解できないだろう。つまり、自分がその人の立場に成り変わっても、今日でいう艱難は乗り切れるものではない。

例えば、各国の新聞に日本を代表して感謝の気持が掲載された。この一時は、どちらかと言えば良いことになるでしょう。この一時だけでも、各国に与える影響や国民に対しての人気、さまざまなことが考えられるが、それはひとまず置いておいて、どちらかと言えば、単純に、良いことではあるはずだ。

しかし、これに対する評価というものがされない。当然、それ以上の問題や課題なりが自然災害より勃発し、それどころではない、というかその問題なり課題なりが大きすぎる以上、あらゆる功績が踏み潰されている状況にあります。無論、今日攻撃されているかの人がやった功績というのはこれだけではないはずだ。

つまりは、今の日本は自然災害が起こした負のスパイラルが回っており、人間の思考や性質や、もっと言えば批判というマイナスの波動がそのスパイラルを押して押して、加速させていると考えてしまう。ひるがえって言えば、今日の日本は減点方式であって、加点方式ではない。いちいち揚げ足をとられ、行動をいちいち批判される。残念ながら加点方式ではなく、これは紛れもない減点方式だ。減点方式が、どんなものかは言わずとしれたことであります。

もっとも、この浮世にはそれぞれの立場、というものがある。今攻撃されているかの人は、代表である以上、国内外を問わずすべての希望、絶望が押し寄せてくる。もっとも、代表であるだけで、彼一人が政治をしているわけではない。というよりもそのほとんどが彼のバッグにいる“表には出て来ないアドバイザー”によるものかも知れない。ともかく、こういった立場、それが解っていてやっているのであろう。解りきっている以上、今更その職を今までのように簡単に投げ出してしまうような暴挙だけは、なんとしても止めてほしい。この後に及んでそんなことをすれば各国の日本に対する考え方はどうなるであろう――。

立場、というものでは、コメントをするコメンテーターという人がいる。コメンテーターは批判をしてなんぼの業界のようだ。ただ、世の中はここでも二極性のようで、つまるところ、コメンテーターにも「良いコメンテーター」と「悪いコメンテーター」がいるようだ。例えば、とあるコメンテーターが言っていたのは、「自分の本心は全く別に置いておき、どうコメントすれば(世間が)盛り上がるかを考えている」というものであった。

例えば、マスコミでもそうだが話題性がないと売れない。売れない、ということは彼等が食っていけない、という深刻な状態でもあるのだ。こうした世界だから、嘘のネタがかねて絶えない。

これをもっと大きくした話だと、ある一部の人なんぞは日本がマイナスになる記事を書く。すればある他の国ではその記事が高く売れるからだ。他の国としてはその国でいろいろな問題を抱えており、敵国をでっちあげて自国民の怒りを転換したい、だから煽る、煽る、且つ煽る。そして、それを高く買う。

三河からきた日本人は、どうにもこの情報戦争が、苦手らしい。

これらのことが人間の性質を考えると、すべて“自然の流れ”と思えて仕方がない。だとすれば、やっぱり思うのがこの国難にあたり、今すべきことは批判ではなく、自分ができることを精一杯やるのみだ。批判がしたいのなら、アイデアを合わせて言うべきだ。すれば、批判ではなく、意見となる。

という話をしていると、――これはほんとに偶然だが――最近、某の仕事の兄貴分にあたる人が当選した。この方とは特に今回のような話をしたこともなかったが、そのスローガンを見るにあたり、考え方は、同じなようであります。


カリン支持率100%です

しかし、批判することすら、言ってみれば人間の持つ醜い本質。どうしたって批判が消えることはないです。だって、批判する人はどんな状況でも批判するのですから。いつの時代にも。さればそれも世の中の自然な流れとして留めておき、せめて自分だけは批判はしないように心がけたい。それより、今自分ができることを精一杯するんだ!

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