(おれのような男には織田家のほうがむいている)とおもっていた。ついには、おれでしかない。主家などではない。この元亀天正という世にあっては、主家などは忠義の場でなく、自分の器量の表現場所でしかない。
毛利は、なるほど堅実で律義であろう。しかし家風に弾みがなく、暗く、華やぎというものがない。
(そのことは、致命的である)と官兵衛はおもっていた。官兵衛がおもうに、人も家風も、華やぎ、華やかさというものがなければならない。でなければ人は寄って来ぬ。
織田家をみよ、と官兵衛は思うのである。なるほど主将信長は権作にみちたゆだんのならぬ大将であろう。しかしその華やかさは、古今に絶している。天下の人材は織田家の華やかさを慕ってあつまり、信長もまた卒伍のなかから才能をひろいあげてはつぎつぎに大将に仕立て、将も士も器量いっぱいに働いている。
お~官兵衛どの。それは粋華志義でいう「華」のことではないか~