はい、インドで採れたダイヤモンドは、
エジプト、ローマやギリシャなどのヨーロッパへ多く運ばれました。
その通過地点のパレスチナに住むユダヤ人は、
商人としての才能にも秀でていました。
今でこそダイヤモンドマーケットは、
アントワープとイスラエルとなっていますが、
これまでに何度か変わっています。
はじめのマーケットはベニス、13世紀頃の話です。
インドの鉱山から地中海を経てベニスへ、
そこからヨーロッパ各地へ運ばれてました。
その後、
ベルギーのブルージュも一時期マーケットとして繁栄しましたが、
1498年、ポルトガルがインドへの直接航路を発見し、
原石取引の中心はベニスからリスボンへと移行します。
16世紀末にポルトガルでユダヤ人は迫害され、
その結果リスボンのダイヤモンドマーケットも衰退の道を辿ります。
よってこの頃には
既にダイヤモンドの取引はユダヤ人の手に握られていた
と言って良いでしょう。
リスボンを追われたユダヤ人は、当時
信教の自由と市民的な自由を認めていたオランダに安住の地を見出し、
アムステルダムはその後長くマーケットとして繁栄していきます。
同時に、
アントワープも14世紀末以降、
ダイヤモンドマーケットとして機能していました。
しかし、
第二次世界大戦中にアムステルダムやアントワープにいたユダヤ難民は
ダイヤモンドに関するノウハウを携えて米国、キューバ、イギリス、
そしてパレスチナ(現イスラエル)に移住していきます。
こうして
アムステルダムとアントワープのマーケットは幕を閉じるのですが、
ユダヤ人の大量虐殺が終わると
多くのダイヤモンド技術者がアントワープに戻り、
見事マーケットを立ち上がらせ、
今日のダイヤモンド産業がアントワープにあります。
一方、第二次世界大戦後に出来たユダヤ人国家イスラエルには、
多くのユダヤ人が長い迫害の歴史を経て集まってきます。
(まぁ、パレスチナ問題は置いといて、のお話し)
実際にはそれ以前からシオニズム運動がなされ、
ともあれこうして集まった中にも多くのダイヤモンド技術者がおり、
アントワープと並ぶダイヤモンドマーケットが
今日イスラエルの、それです。
ところで・・・、