「やりおるわ、やりおるわ」
秀吉は床几から腰を浮かし、手をたたき、頬っぺたを掻き、眼をこすり、洟水をすすりあげ、いそがしいよろこびようだ。
「それ、伊右衛門、もう一押し」
むろん、伊右衛門には聞こえはしない。
―――中略―――
士気にかかわるところだった。
それにしても、秀吉のよろこびようは、気ちがいじみている。
ついに伊右衛門隊が、敵の奇襲騎兵を城門まで押しかえしてしまったとき、すぐ使番(伝令将校)の尾藤勘右衛門をよび、
「すぐ、伊右衛門の陣へ駆けおりよ、駆けて行って、伝えよ。勘右衛門、早う行かんか」
「な、なんとお伝え申すのでござりまする」
「そうか、申さなんだか」
と床几に腰をおろそうとすると、うっかり尻の置き場所をまちがえて、すすきの中にころがってしまった。
「こ、この通り申し伝えよ」
「どのとおりでございます」
このあたり、秀吉の言葉を古い記録の表現法で伝えると、
「やよ、よいか。筑州(秀吉)大よろこび、踊りあがり踊りあがり踊りあがり、とうとう尻餅をつき候ぞ」
これが秀吉のうまさだ。かれの場合、手紙にしろ、会話にしろ、表現が形式ばらず、よろこびを伝えようとするときは、自分の心の躍動をナマに眼にみえるように無邪気に語りきる。
こんな表現でほめられれば、伊右衛門ならずとも、秀吉のためには命も要らぬという気持になるであろう。
それに、秀吉のほめ上手は、間をおかぬことだ。即座にほめる。そこに妙機が生じ、ほめられた者はいよいよ調子づいて次の合戦にはいっそうに働いてしまう。