おもしろき こともなき世を おもしろく

  1. 粋華志義
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日本特有のヤクニン、とゆうもの

 「ヤクニン」という日本語は、この当時(幕末)、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。

ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと、「上司」ということばをつかい、「上司の命令であるから」といって、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。

(中略)

日本にあっては上司とは責任ある個人ではなく祠(ほこら)であり、ヤクニンとは祠に仕える神主のようなぐあいであるのかもしれない。

なるほど、たしかに江戸文化が生んだものは華やかなものばかりではないということですな。それにしても、「極度に事なかれ」、「ヤクニン特有の魚のような無表情」とは、、、

(‘・c_,・` )プッ

正にその通りですな。

それから、「上司」という言葉以外にも、「会議」という言葉もよく使うらしい。このヤクニンは。要は会議という実態の知れないものを話にあげ、責任をすりかえてしまうのだ。

ただ、このヤクニンに「自分の意思がないのか!」とただ言うのは少々滑稽なことでしょう。何故なら、あれだけの封建制度があれば人がこの発想になるのはある意味自然な流れだと思うのです。いや、そう言うには時が経ち過ぎか!?

ともかく、この大変な副作用にどう立ち向かってゆくのか、我々ニッポン人にとって今後の課題でもあります。

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幕末から明治初年にきた外国人は日本の倫理風俗として礼儀正しさ、謙虚さ、出すぎないことなどを指摘し、かつほめた。しかし日本人に物事を交渉する場合、相手がほとんど意見を言わず、即断せず、いつも結論を宙ぶらりんにすることに手を焼いた。

これは交渉をうけたヤクニンが分際を心得すぎ「自分の役どころで、そういう問題は決めるべきでない」という倫理判断が慣習的にあったからで、上は老中から下は小役人にいたるまでこの倫理的価値基準でもって政治や行政上の課題の中で身を処していた。

「なにぶん先例になきことにて、御同役とも相謀りませねば私一存にては何とも御返答いたしかねます」

ということばが、行政の最高職から卑職の者にいたるまでどれほど使われてきたであろう。また、

「江戸の上司には深きお考えがあるかと存じまする。このことは長崎奉行たる私の職掌なれども、先例なきゆえ、遠国方の私が出過ぎてここで相許せば御政道の大本が立ちゆきませぬ」

というような慣用句も、長崎あたりでは日常つかわれていた。いずれも分際という個人の倫理感覚が、社会科学用語として考えていいほどに政治や行政の核心に入りこんでいたことを思わせる(むろん、この江戸的要素は、こんにちにいたるまで消えずにつづいているのである)。

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