今日は、とある宝石関連のgatheringに行って参りました。
先週日本に初めて行ったというオランダ人がいました。
もう、絶賛。
食べ物に絶賛。
食べ物以外(都会っぷりなど)にも絶賛していましたが、
主に食べ物に絶賛してました。
これだけ絶賛されると、そりゃうれしいものです。
これに、アメリカ人とタイ人が加わってきました。
やはり、絶賛。
「日本はシャーペンに至るまで、全てが完璧だ」
たしかに。
シャーペンですら、その書き方が心地よくなるようにと考えるのは、
日本人くらいでしょう。
それからトイレ。
ウォッシュレットは言うまでもなく、便座はあったかい。
用を足す時にボタンを押すと、音が流れる。
便座が自動で開閉する。
など、絶賛しすぎてクレイジーという単語さえ出てくる。
これだけ絶賛されると、やはりうれしいものです。
これに、イスラエル人が加わってきました。
ユダヤ教のお話となり、イスラエルの話となる。
ヘブライ語の「レカイム」で乾杯し、隣にいたさっきのアメリカ人が言う。
「そうか。あなたはイスラエルにいたのか。それはいい経験だ」
ふむふむ。
「イスラエル人はstrongだろう?」
たしかに。
「strong, straight, tough, smart・・・、日本人と似ているな」
おぉ?
日本人がstrong?
日本人がstraight? tough? smart?
う~ん、これを言われて正直悪い思いはしませんでしたが、
残念ながら、ボクには少々疑問を感じた。
かつての日本人、特に幕末・維新時、あるいは戦後の日本人には
世界に誇れるstraightさ、toughさを感じるが、
今日の日本人は果たしてどうなのだろう?
少なくとも、今日で言えばイスラエル人とは比べものにはならないと感じる。
その理由は、明快である。かもしれない。
今日の日本人は、平和ボケをしてしまっている。
それは、かつての江戸幕府の平和ボケと同じとも言えるでしょう。
それに比べイスラエルでは、今日でも緊張感を持っている。
人間は緊張感をもって心胆を練るものであると考えられるが。。。
ともかく、外国の人にとっては、日本は全てがコンプリートであるらしい。
それが、日本のひとつの魅力ともいえるでしょう。
これだけ絶賛される日本というものに、誇りをもって参りたい。