粋華志義

彼理贈呈

ペルリといえば・・・

日米和親条約が結ばれるまでの間に、
日本とアメリカでは互いにプレゼントをした、といいます。

アメリカからは電信機や汽車の模型が送られた。

この汽車の模型は実物の三分の二くらいの大きさで、
子供が乗るのにちょうどよい大きさだった。

ところが円形の鉄道の上を運転したところ、
幕府の役人が客車の屋根の上に乗った。

この時の役人の様子を、アメリカ側は、
「おもしろさと怖さで屋根にしがみついている   ありさまは とても滑稽だった」

と記録しており、日本側は、
「誠に不思議な機械で、その工夫にはまったく驚く」
と記している。

このアメリカのプレゼントに対し日本側のプレゼントがこれ。

幕府はまず、江戸から横浜に力士を呼ぶ。
そしてペルリの艦隊へ米俵200俵をかつぎ、贈った。

頭の上に2俵担ぐ力士もいれば、 前歯で1俵をくわえて運ぶ人までいたらしく、
(1俵は60kg) これにはアメリカ人もびっくり。

そして、米俵を運んだ後は土俵入りや相撲の技を披露した。

ちなみにこの時期、
坂本龍馬は18歳、江戸に出て千葉道場に入門したら辺。
高杉晋作は15歳、まだ萩の藩校で勉強中。
土方歳三は19歳、石田散薬を行商してる時期で、 まだ近藤とは出逢ってない。