西: 「貴公はそう言わっしゃるが、拙者の渡韓のことは すでに前の廟議にて決まっていることでごわす」
大: 「その廟議がどういうものであったか 自分は不在だったから存ぜぬ」
西: 「そりゃ貴公、本気の一言か」
西: 「拙者ども(留守の参議たち)も、参議ごわす。 貴公らが外遊なさっちょるからとて、国家の大事を捨てておけ申さん。 前の廟議は留守の参議がきめた。決めて何の悪かこっがごわす。 三条太政大臣も御同意なされ、お上も御裁可くだされた」
大: 「拙者どもが不在のあいだは、 国家の大事は決めてはならんとう約束で御座した」
西: 「左様な約束は知り申はん」
大: 「そりゃ、いまになっせえ、卑怯じゃごわはんか」
といったとき、この一言は西郷という可燃度の高い感情に対して 火を投げたようなものであった。薩摩人がもっとも憎む悪徳は卑怯ということであり、もしこの言葉を投げつけられて刃傷沙汰に 及ばない薩摩人はないといわれた。
西: 「お控えやんせ」
と、西郷は吠え、拳をあげてテーブルをはげしくたたいた。
西: 「どちらが卑怯か、一蔵どん、おはんの胸に問うてみなされ」
と言い、身を乗り出している。
~以上、翔ぶが如く より抜粋。
子供の頃から莫逆の仲だった両人、ついに激突。 どれだけ莫逆かってゆうと、 かつて西郷が藩から島流しにされる時、大久保は刺違えて死のうとした程。 (当時島流しとは、死を意味していた)