粋華志義

人は驕るもの

いや、まったく。我ながらめんどくさい経歴である。自分でも自分の経歴(特に順番)が思い出せずにきている。それも5ヵ国にまたがって、それもタイやイスラエルなどは2回目、3回目となっているので余計こんがらがる。とにかくこの13年間が今、すべてにおいて結集され、結果を出し始め、やっと落ち着けるようになったので、ここに勉強になったことを振り返ってみる。

人は驕るもの

これだけ自分は驕らいように気をつけているのに、物事がうまく回り始めるとどうしてもいい気分になって結局は驕ってしまう。でも、それが人間なのだと気づいた。「人は驕るもの」と。

同じ会社に長い事いると部下ではなくとも後輩が新しく入ってきて、顧客もついてくる。地位も高くなり、仕事にも慣れ、売上もついてくるようになると、「自分でもできるんじゃないか?」と思う。で、その人は独立する。ここで大抵の人が感じるのが、自分「個人」の無力さだろう。そして、今まであった会社の看板の大なる存在を思い知らされる。

そう考えると、存続している会社ほど見事なものはない。これは、経営者でなければその苦労は解りえない、とよく言われる言葉の通りだと思う。思うが、その苦労が報われるくらいのおもしろさも経営者には、ある。とにかく、存続している会社にはシステムが存在し、その偉大さといったら言葉にできない。

ともかく、13年間で23回の転職なもんだから、毎回、「新入り」なわけなんです。驕ってる暇なんかなかった。でも、ボクの場合は幸い、それが為に嫌な思いはしなかった。行くところの職場、職場の人とは比較的、というか仲良くやってたし、自然、年下の上司なるものが登場してくるが、皆、ボクにとっては良き先輩であった。もし、自分が同じ会社にあのままずっといて、地位も高くなり部下もできようものなら、驕ってしまう自分をコントロールできなかったに違いない。

引越しもそうだ。郷に入っては郷に従え、とはよく言ったもので、新しい国ならなおさら、というか、もろ、そういうことだ。ここでも、常に謙虚でなければ、その新しい社会の新入りが何ができるわけでもない、生きてはいけない。

そんな環境で生きてきた自分も、物事がうまくいってくると驕ってしまう、そして、打ちのめされる。そして、またひとつ勉強する。その繰り返しだ。「人は驕るもの」、これを知ったことはボクの中では大きいことなのであります。

歴史を見てもそうだ、室町幕府を興した後の足利一家の崩壊を見ても解る。アレが、人間。あれほどな修羅場の数々を一家団結して取った天下も、見るにも無惨で醜い崩壊に終わったのも、すべては驕りからきたものだろう。それに比べると幕末の高杉晋作、このあたりはさすがに天才、と言わざるわ得ない。あの若さで、しかも誰でも驕ろうあの状況で、「艱難ヲトモニスベク、富貴ヲトモニスベカラズ」と言い、さっさと退いてしまったからだ。高杉はあの時、「人は驕るもの」という人間の本質を知っていた。

もちろん、自分でも驕らないように日々、注意している。そこで、ボクという人間は驕らない、と口にするのなら、それは嘘だ。ボクも人間だからだ。この際、「人は驕るもの」ということを素直に受け入れよう、と思った。その上で、自分の中で驕らないように注意していけばいい話なのだ。