粋華志義

よくあるブログのススメみたいな記事を読んで気づいた事

この粋華志義ブログは2006年から始めているが、ボクはボクなりにブログは自分のために続けていた。自分の考えもまとまり、文章を書く能力も磨かれ、記事を書くのに自然と情報にアンテナを張るようになり、また有言実行を信条とする自分にはブログで公表したからにはやらなければならない、そんなプレッシャーもいい意味で得られる。そんなことで、ボクのブログの意義はそれ自体が自己啓発であったりもする。 

そんな中、Gunosyでこんな記事を見つけた。

たとえば週末、異業種交流会に参加したとする。やたらと声の大きな若い男がいて、自慢話を披露していたとする。たしかに有能な人物なのだろう。自分の成功体験をとうとうと語りながら、「だからボクはこう思うんですよ……」と気の利いた格言を口にする。

(中略)

誰だって自分の話を聞いて欲しいし、自分の人生を肯定してもらいたい。すごいねって褒めてもらいたい。

しかし、人生を語れば語るほど、相手のテンションは下がっていく。「この人のようになりたい!」と感じてもらえる可能性は低く、「この人のようにはなるまい」と感じさせる場合がほとんどだ。人生は、面と向かって語るもんじゃない。まして、人生の教訓がどこかの本から借りてきた言葉ならばなおさらだ。

では、どこで語ればいいのか?

ブログだ。

あ ぶ ね ー ! !

もし飲み会なんかで誰かに語りだしてたら完全にウザイ人だった!よかった!ブログに書くだけにしておいてよかった!!

あああぶぶぶねねねーーー!!!!!!!!!

無口と言われようが、普段から意識しておいてよかった。話し上手より聞き上手を意識しておいてよかった。(もっとも、まだ聞き上手の域まで達してないけど)ただ、サシ呑みとかの、そういった語り場では、語っちゃうけど。でもそれも、自分が本気で語れる人なんかは限られてくる。

そうか、ブログで語ればいいのか。では差し当たり、人間力の連載などをブログで語ったのはあながち間違いではなかったのか。そりゃそうだ、人間力のようなことを人に話したところで、ウザい以外の何ものでもない。てか、人間力連載は何度も注意書きしている通り、人に対してではなく、自分に対して語っているだけなんだけど。ともかく、答えなんて人それぞれだし・・・

ブログって、そうか。そういう事でも使えるんだな。なんて素晴らしいツールなんだろう、と思った。