この一点で、官兵衛がこの時代における、
抜きん出た知識人だったといえるかもしれない。
人間の行動の善悪正邪を決める儒教というものが武家社会に定着して江戸的な武士的な道徳になるのは、江戸中期になってからである。
戦国期においては、そうではない。
戦場において自己の名誉を命がけで表現したいという道徳に似た共通のなにかを士卒たちは持っているものの、世を動かしているものは功利主義であり、善悪正邪論というものはなく、何が利益で何が損かということしかない。
官兵衛も、たしかにその徒ではあったが、一面黒田家の家学のようなものが、かれ自身の行動を律していたということは、時代の状況と思い合わせれば、奇妙な存在というほかない。
「私には、主家を裏切ることはできない」 と、官兵衛はいった。