粋華志義

教育

 ―合戦がないときは、甚内は近江に帰って具足などを繕っている。小兵だが、すばしこくて大人以上の力があり、それに敵を闘うということが、すこしもこわくない。いい戦士をつくるには年少から戦場を経験させるといいというが、甚内がそれであった。

ねずみのような用心ぶかさと、いたちのような獰猛さを自然に身につけ、戦場でのかんのよさはかれの生涯のもち味になった。とくに敵味方の強弱についての洞察眼は抜群といっていい。ただ野伏の世界で成人しただけに、忠誠心というものだけは身についていない。―

ボスがしきりに言った。

「教育だ――。」

上記文章は人間が育つ”環境”に関していっているものだが、この場合の環境はすなわち「教育」にもあてはまるのかもしれない。教育にしても環境にしても、その人の人格が形成される過程にはいずれもおおいに影響してくるものだと思う。

教育次第でその人の人間性は造りあげられる。環境も然り。とすれば自分の将来は今現在の環境によって変わっていく――のかも知れない。

本でも読んだ。今自分が一番つき合っている人間の様な人間に将来なっていくものだ、と。その真意は解らないが、今自分の置いている環境というのはものすごく重要なはずだ。そしてその環境は自分次第で選べる。

三つ子の魂 百まで

というのもまんざらではない。我が子を愛するあまり、何不自由なく育てるとどうゆう風に育つだろう?もしかすると苦労を何も知らずに成人し、人の気持が解らない人間に育つかもしれない。これも教育だ、環境だ。

今自分が置こうとする環境を考える今日この頃。