粋華志義

信長が信長たるゆえんのくだり

(道三はさほどの人物ではなかったな)


と信長は思うようになった。

山上の城塞は不便すぎるのである。なるほど堅牢そのものだが、いざ住んでみると、堅牢すぎることが城主としての心の活動をにぶくするのではないかと思われた。

防衛にはいい。

そのよすぎることが、殻の中にいるさざえのように清新溌剌の気分を失せさせ、心を鈍重にし、気持を退嬰させ、天下を取るという気象を後退させる。そのように思われた。


(蝮めはこの城を作ったときから、守成の立場にまわったのではないか)

逆にいえば道三の退嬰の気持が、この城を作らせたともいえなくはない。また同情的にみてやれば道三は、人生の半ばから風雲に身を投じ、その晩年にいたって、ようやく美濃一国を手に入れた。手に入れたときにはすでに自分の一生は暮れようとしていた。いきおい、守成にまわらざるをえなかったのであろう。


(おれは若い。若いおれが、これほどの金城湯池を持つ必要がない。持てば気持がおのずと殻にひっこむようになる。つねに他領に踏み出し踏み出しして戦う気持がなくなればもはや、おれはおれではない)