おもしろき こともなき世を おもしろく

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幕末卒業――

 怒涛のバンコク編、つまり某がバンコクにまだいた頃、旧来の友人が遊びにきた。その友人は、なんと神の子である。神社の息子なのだが、その神社が行う地元の祭は西暦720年頃から行われているともいい、Wiki等にも紹介されている。

思えば彼は学生時代から物知りだった。比べて自分が無知だったからかも知れないが、全般的に“大人”の常識というものを、例えば中学生の頃から持っていたようだった。いつだったか、当時行きつけのガストに彼を呼び出し

くそ真面目に「何でそんなに物知りなのか?」と問うたのは、あれは彼がアメリカに行く前だったか、それとも帰国してからか。

高校に入り1年、某がハイスクール生活をエンジョイなうしていた真っ最中に、彼は単身アメリカに留学した。今でも覚えている――中学の仲間でその母校に、それぞれの高校の制服を着て恩師を訪問した時だ。その時にはすでに、彼はアメリカに行く決心をしていたらしい。「日本は狭すぎる」、たしかに彼はそう言い残してアメリカに旅立った。――そうか、日本は狭いものなのか。

話は元に戻る――バンコクに来たその友人は、それまでに来た友人とはやはり違うようだった。街を歩いていても木に注目しこの木は樹齢何年くらいかとか、墓を見ては火葬か土葬かなどと聞いてくる。今思えば、某にとってどこか神秘なこの友人のあの時の(母校での)言葉がバンコクまで導いたのではないかとも思える。

そんな彼が、「お前はこれを読め!」と日本から持ってきてくれたのは、

「竜馬がゆく」全八巻であった。

彼が歴史にも精通していることは知っていたが、特に興味のない分野であった。ただ、当時はすでにバンコクに棲んで2年ほどは経っていたから、少なからず日本の外に出て、その良い部分、悪い部分なども見え、日本(ニッポン)というものを知るのもまんざらでもなかった。

彼が言うには、特に彼のアメリカ留学時代、相当読みふけったと言う。某とくれてくれたのと同じように人にあげてしまい、また自分で読みたくなり買い改め、また人にくれてしまう。これを何回も繰り返していると言う。なんでも、読むと元気が出るそうだ。

ともかくも「今のカリには必要だ」と言うのでためしに読んでみたのである。2巻くらいまではなんともなかった。3巻から、ひょっとし始めた。4巻に入ると、衝撃が走った。「こんなことが、あったのか」と。

それでも「竜馬がゆく」だけでは、当時の全貌が見えてこない。坂本竜馬以外では、どのような状況だったのか?ムショウに知りたくなった。自分の国で、たった150年前に、このようなあり得ない出来事があったなんて、知らなかったのだ。こうして、幕末に狂い始めたのである。携帯番号の下四桁は坂本龍馬の誕生日にして命日である1115、会社を起こせばその設立はやはり11月15日、東京龍馬会に入り、全晋連(全国晋作連合会)にも入会した。燃えよ剣を読んでは飛行機の中で人目を気にせず号泣し、京都の供養巡りでもやはり男泣きをした。

司馬遼の作品以外も、勿論読んだ。いくつも読んだ。しかし、やはり司馬先生の作品がダントツにいい。

「竜馬ゆく」にて、幕末を知った。これは言うまでもなく坂本龍馬が主人公で、あえて言えば土佐の、しかも下士からの視点から見た幕末と言っていい。

「世に棲む日日」では、吉田松陰、つづいて高杉晋作が主人公の、長州の視点で見た物語。特に長州(現在で言う山口県)という一地域が、米英仏蘭に大砲をぶっ放して宣戦布告し、且つ朝廷からも朝敵とされ、といった事実があったなどとは、これもやはり衝撃を受けた。

「燃えよ剣」では新撰組という、言わばそれまでミーハーとでも思っていただろう組織の副長、土方歳三からの視点だった。彼の男気には、参った。そりゃ、飛行機の中で号泣もするだろう。あん時ばかりは、ほんとに、涙が滝のように流れてた。

「酔って候」は幕末当時に“四賢候”と称されたつまり、土佐の山内容堂、薩摩の島津久光、伊予の伊達宗城、肥前の鍋島閑臾の、それぞれの大名という立場からの視点で描いた物語。やはり、当時の状況を大名視点でかいま見ることができる。

「花神」では長州藩の村田蔵六、改名後は大村益次郎の軌跡をたどる。長州藩でも村医者としての彼はやはりこの幕末というドラマには必要不可欠の役者であり、果たして歴史に名を残した。彼が靖国神社を創ったあたりは、現代にも通じるものがあった。

「翔ぶが如く」では、ずっと気になっていた大政奉還、戊辰戦争の後から日本最後の内乱とも言われる西南戦争までを描く物語。ココでの収穫は、西郷どんの奇跡も去ることながら、大久保利通という男の偉大さだった。それまでは単なる陰険な、武士の風上にもおけんものだというありがちなイメージだったが、彼こそ世界史上稀な大人物であることを知った。

「幕末」では、幕末の12の“暗殺”を描いた短編集。幕末という舞台を作った清河八郎、坂本龍馬のあと海援隊による花屋町襲撃事件などをも含められる。また、桂小五郎のストーリーも幕末を知る上でも欠かせないだろう。

「最後の将軍」では、700年続いた武家政治というものを、幕府の最高職 将軍自らの手で葬り去った苦悩の生涯を描く。なお、ここでは言うまでもなく将軍という立場からみる幕末が描かれている。

「峠」では、戊辰戦争で東西が割れる中、最後まで中立を守り貫き通した長岡藩・河井継之助を描かれていた。幕末に話題にされやすい薩長土・新撰組以外の「立場」から見る幕末がそこにある。

「人斬り以蔵」では、以蔵の視点から見た武市半平太や土佐の情景をみることができた。短編集であり、今はどういった物語があったのかは忘れたが、それぞれの「立場」の違いからそれぞれのドラマがそこにはあった。

「十一番目の志士」は、残念ながら主人公は架空の人物であった。しかし、その架空の人物から見る高杉晋作がまたリアルで、変わった視点で特に高杉晋作を見ることができた。

「新撰組血風録」では、騒乱の世を、それぞれの夢と野心を抱いて白刃とともに生きた男たちを鮮烈に描くこれまた短編集。新撰組でも、近藤や沖田をはじめとする各隊士の視点からみた新撰組、あるいは夜明け前を見ることができた。

「坂の上の雲」はいわゆる幕末ではないが、当時は帝国植民地時代でありアジアは列強に植民地とされいた時代でもある。その中でも植民地とならなかったのはアジアでは日本とタイだけである。その国の内乱につけ込むのがその手口だったそうだが、日本の幕末などはその典型パターンであった。どころか、ヨーロッパでも最も古い大国・ロシアがあからさまに南下政策をとってきて、日本は追い込まれる。正に、アジアの他諸国と同じように列強の植民地になるか、それがいやなら戦争するしかなかった。戦争するといっても、江戸時代から明治になって間もないこの小国が戦うなど子供が大人(それもただの大人ではない)に戦いを挑むようなもので、要するに話にもならなかった。特にロシアのコサック騎兵は世界最強と謳われ、バルチック艦隊は不沈艦隊と言われる陸軍・海軍を持つ列強の中の列強であった。この物語は、幕末の夜明け後の日本がいかにしてその艱難に立ち向かい乗り越えたか、というものでやはり幕末とは切っても切れない物語なのであった。

――このように、幕末というひとつの時代を、いろいろな立場から、視点から見てきた。立場が違うことにより、それぞれの「正義」がそこにはあり、ここに「時勢」という要素が加わることにより最高のドラマがそこにつくられた。具体的には武士社会という世界でも精密であるいは奇妙な「江戸の幕藩体制」の終焉と、帝国主義である「国際情勢」が組み合わさることにより生まれる一種のエネルギーが、すごい。

某は、この幕末を知ることによって随分と人生観が変わったのか、見る世の中というものが違って見えるようになっただろうか。ともかくも自分という人間がどこから来て、自分の国がどういったものなのか、つまりは自分のアイデンティティーを確立できたと思っている。自分の心の中に何というか、大きなぶっとい柱ができ、自分なりの考え(哲学と言っても良いものなのか)、また自分はこうあるべき義というができたようで、多少のことではぶれない。

このブログの冒頭に出てくる彼もまた、10代のうちにアメリカに渡り一人で生きていく時に「竜馬がゆく」を読み自分のアイデンティティーを確認し、あるいは自分の元気を奮い起こしたのだろう。

このように、実は幕末で学んだことがまだいっぱいある。また、あの時のそれぞれの艱難に比べると、今自分にふりかかる艱難などは小さく見えたりもする。当時の教訓から、今の自分の糧にできるものが非常に多かった。最後の胡蝶の欄より、ひとつの例を出してみたい。

分際とは、封建制のなかで、身分ごとに(こまかく分ければクラスの数が千も二千もあるはずである)互いに住みわけてゆくための倫理的心構えもしくはふるまいのことで、封建制を構成するための重要な倫理要素だと私は思っている。ただし、惜しいことに社会科学大事典や哲学事典には載っていない。

『広辞苑』では『太平記』の文例をあげ「敵の分際を問ふに、・・・・・・和田が勢ばかりわづかに五百騎にも足らじと」ということで、「程度。(数量の)ほど」という意味を第一の語義としている。『太平記』が成立する室町期には以下の第二の語義がまだあらわれていなかったのであろうか。

江戸封建制が精密化してゆくにつれて、分際は「身のほど。分限。身分」という内容のみにつかわれ、津々浦々あらゆる階層のひとびとにあらゆる場所で日常的につかわれた。人を説論するとき、自らを戒めるとき、このことばは欠くべからざる倫理用語として頻用された。

「分際を心得ろ」

「それは私どもの分際にあいませぬ」

それがやがてつづまって、

「分をわきまえぬやつ」

「二日二度も食膳に魚がつくなど私どもの分に過ぎたることでございます」

というふうにつかわれた。

===中略===

――江戸期の分際という倫理は、人間の普遍的美徳である謙虚、謙遜、恭しさというものを生み、ついにはときに利他的行為までを生むほどの力を持った。同時に強烈な副作用として日本人に卑屈さを植えつけた。

幕末から明治初年にきた外国人は日本の倫理風俗として礼儀正しさ、謙虚さ、出すぎないことなどを指摘し、かつほめた。しかし日本人に物事を交渉する場合、相手がほとんど意見を言わず、即断せず、いつも結論を宙ぶらりんにすることに手を焼いた。

これは交渉をうけた役人が分際を心得すぎ「自分の役どころで、そういう問題は決めるべきでない」という倫理判断が慣習的にあったからで、上は老中から下は小役人にいたるまでこの倫理的価値基準でもって政治や行政上の課題の中で身を処していた。

「なにぶん先例になきことにて、御同役とも相謀りませねば私一存にては何とも御返答いたしかねます」

ということばが、行政の最高職から卑職の者にいたるまでどれほど使われてきたであろう。また、

「江戸の上司には深きお考えがあるかと存じまする。このことは長崎奉行たる私の職掌なれども、先例なきゆえ、遠国方の私が出過ぎてここで相許せば御政道の大本が立ちゆきませぬ」

というような慣用句も、長崎あたりでは日常つかわれていた。いずれも分際という個人の倫理感覚が、社会科学用語として考えていいほどに政治や行政の核心に入りこんでいたことを思わせる(むろん、この江戸的美徳は、明治後こんにちにいたるまで消えずにつづいているのである)。

身分と分際の社会である江戸期で、それらを超越することができる道がわずかながらひらかれていた。

たとえば、武術と学問であった。

江戸の旗本の子弟は怠け者と相場がきまっており、よほど好きな者以外は町道場に剣術を習いにゆくということはなかった。

そういう貴人の子弟でも、まれに町道場に入門したりすると腕達者の卑賤の身分の者から分際なしに竹刀でたたかれた。町道場での序列は浮世の身分が通用せず、修業の優劣できまっていた。卑賤の身分の者でも剣技をみがけば諸藩にめしかかえられて士分になることもあり、たとえそういうことがなく浪人身分のまま道場持ちになっても社会的に尊敬を払われた。江戸期の諸流派の流祖がほとんど農民出身であることをおもうと、江戸体制というものの通風装置が案外なものであったことがわかる。

学問においても、この事情はかわらない。

江戸期に名を知られた大小の学者に、江戸の旗本出身というのは皆無にちかいのではないか。ほとんどが農民、諸藩の下級の士・卒の出身であり、それも将来を保証されている惣領息子である場合がすくなく、前途に何の保証もない次男、三男の出であった。

学問にせよ、武術などの技芸にせよ、この一筋の綱にすがりつく以外に餓えから脱出することができないという恐怖感がひとびとを刻苦勉励へ駆りたてていたといえるし、逆にいえば最初から煖衣飽食を約束されている境遇の者に堪えられるものではなかった。

このように、幕末という世界史上でも稀な革命を通じて、例えば上記のような大自然の法則だったり、人間の性質、もっと言えば日本人の特色はどこからきたのか、などということを知ることができる。ともかく、自分のルーツというか自分以外でもさまざまなことが繋がり、世の中の仕組みというのが紐解けてきた。特に海外に出て人と接する時など、自分が何者かが解っているのと(つまりアイデンティティーを持っているのと)そうでない場合は、うんと違うものだと思われるのだ。色々とこういったことを述べると止まらないので、と言うかそろそろ仕事もしなければならないので、本題に入ることとします。

こうして司馬先生の幕末作品を手当たり次第読んできましたが、昨日に最後の作品を読み終えました。最後は「胡蝶の夢」なるもので、松本良順をはじめとする医学の世界からみた幕末。医者と言えど松本良順は将軍をも診る奥御医師ですからね、今までにない視点でした。また、時勢の中で色々な葛藤があるのですがね、ともかくも「身分制」という江戸時代の特色についてまた勉強になるものでした。幕末当時、医者の世界でも闘いがあったのですね。

冒頭の彼が「竜馬をゆく」を持って来て幕末狂いになってから7年、昨日最後の作品を読み終えたことにより、幕末を卒業します。これより、戦国時代に入ります。

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