――この永倉が、その遺談をもとにしてその子息義太郎が編んだ『永倉新八』のなかで弾左衛門の身分昇格にふれ、
「直ちに・・・・・・御目見得以上に召出され、御書院御番に列せられて、時服拝領まで仰せ付けられ」
とある。単に平人になったのではなく、堂々たる旗本に列せられたというのである。
御書院御番というのは将軍の身辺をまもる武官で、戦時は将軍の馬前を離れないという旗本のなかでももっとも名誉とされた職である。もっとも実際にその職についたのではなく御書院御番格というものであったろう。
某の祖母の曽祖父が、この御書院御番だったことを知ったのは、
某が27歳の時でした。時は幕末、徳川慶喜に仕えたという。
ちなみに、祖母がその話をすると慶喜のことを「けいき」、「けいき」と言う。