粋華志義

規律

 先日、4年ぶりに食パンを食べました。
4年前のことはよく覚えていますよ。ちょうど怒涛のバンコク編を終えたタイミングで、南の島を1ヶ月かけて周っていた時でね、宿の朝食が決まってトーストだった。今度いつ行くかな~。

鮮明に覚えているのは他でもない、逆に普段食べないからです。私は、なるべくパンを食べないよう自分に律しているんです。何故なら、パンはアメリカが大量に余った自国の小麦の処分と同時に自分のふところを肥やすために日本人に売りつけたものだからでやんす。

GHQによるこのパンと牛乳政策は見事に成功し、それは今でも学校給食に引き継がれていますね。モノがない時代にパンと牛乳で育った戦後の日本人はそれが「当たり前」だと思うようになり、パンを主食にする人がたしか30%だったか、増えたと言います。一国の主食が一時期にここまで変わることは、古今東西ないということであります。

いやですね、おそらくは、もしGHQがあの時パンと牛乳政策をやっていなかったとしても、今のグローバル社会だ、30%とまではいかずとも20%くらいは、それを主食とする人が出てくるんじゃないかと思いますよ。

→それならいいんですよ。なんか、自然じゃないですか。なんか、グルメじゃないですか。でもね、結果はどうあれ、きっかけは完全洗脳ですよ。パンを食ったら、当時のことが思い出され、ボクは無念になるんですよ。パンを食べたら、なんか負けた気がするんです。なにが「米を食べるとアホになる」だ。なにが「牛乳を飲まないと大きくならない」だ。

特に牛乳なんか、逆で、
「牛乳に含まれるリンは取りすぎると血中のリンイオンの濃度が高まり、バランスを取り戻そうとして骨の中に貯蓄されているカルシウムが溶け出し、この状態が続くと骨粗鬆症(こつそしょうしょう)になる。」
のだそうな。骨がすぐ折れちゃうのね。

ボクはですね、曲がったことが大嫌い~、なんで、このように筋が通ってないことが、大嫌い~。時代が時代なら軽くて蟄居、重くて天誅、残念。武市先生が聞いたら、泣くわ。

学校給食をパン・牛乳ではなく、米・みそ汁にするのならパンも食べても良いが、そうでないのなら、私は引き続きパンを(なるべく)食べないよう自分に律することでしょう。