おもしろき こともなき世を おもしろく

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カルティエに魅せられて

 1997年、私にはひとつの出逢いがあった。―――カルティエ。日本に黒船がおどしにやって来る6年前にパリで産声をあげたこのブランドは、世界で一番のジュエラーである。

当時は「ブランド志向」の時代でしてね、今日でも日本のそれは狂ってるとしかいい様がないのですが、それでも今よりかはそんな傾向があったわけです。ボクの周りも例外ではなく、高校を卒業するとなるともうみんな持ち始めるんですよね。やれヴィトンとか、やれグッチとか、やれエルメスとか。やれやれうるさかった。

ボクの周りも例外ではない故にボクも例外ではなく、「自分が愛するブランド」が欲しかった。でもね、他の人とは同じものは、嫌だったの。だって、特に当時ヴィトンはその最たるもので、「日本人が持っているヴィトン」を全部かき集めて日本人に配ると、日本人全員に配りきってなお、余るという。ボクの前のボスなど「ランドセルみたいなもんだ」と言っていた。

だもんで、自分だけの「愛すべきブランド」を探していたのであろう。これは、簡単な話じゃないぜよ。だって、自分が魂を売るブランドなんだもの、どこぞの馬の骨ともわからないブランドはお呼びでない、おととい来やがれ てなもんです。

例えばココで決めたとして、「あ、やっぱヴィトンの方がいい。いぇい!」とかなったとすると、いちいち変節する不忠者、忠義が足りないとして時代が時代なら軽くて蟄居、重くて切腹となるであろう。現代ではそうとまではいかまいが、ブランドをコロコロコロ助のように変えていては、発する言葉はいちいち軽くなり、信用もおぼつかなくなり、ついには人間としての「重み」がなくなってしまう。

少し話ははずれたが、そんなこともあって、私は私なりに真剣に「自分が愛すべきブランド」を探していたのだった。

そんなある日、同級のNがですね、「これ買わない?」なんて持ってきたものがあった。それが、これ、

カルティエの財布。

なるほど~、カルティエか~。勿論、当時の私にはカルティエと聞かれてもそこまで知識があるわけでもなかった。しかしね、聞いたことくらいはそりゃ、ある。でもね、こうきっかけがあるだけでは、決められない。だって、人としてね、「人間としての重み」がなくなってしまうのは、いやだ。だから、私は慎重に検討しましたよ。慎重に懸念しました。

そしたらね、私に3つのインスピレーションが走りました。

ひとつめは、カルティエがジュエラーであること。もちろんね、当時はどれだけすごいジュエラーなのかは知る由もなかったけど、なんかジュエリーで有名なのは知っていた。そしてジュエリーは、自分自身着飾ることが好きだったので、その点でひとつ繋がった。この時してた100gの金ネクは今売れば26万円や~ ふたつめは、その色。カルティエはイメージカラーを赤系色としている。目の前にあるその財布もワインレッドなわけである。そして私のイメージカラーは赤、これは物心つく前から決まっていた。これでふたつ目の繋がりである。

でもね、人生生きていればふたつくらいの繋がりは、ないわけではない。いや、むしろ、通常起こることなのかも知れない。友人のNがこの財布を持ってきて、ボクの脳の中に「カルティエ」という宇宙(スペース)が誕生した、そこにカルティエがジュエラーであることから点ができた。そしてそのカルティエのカラーによりもうひとつ点ができ、故にそこに線が誕生した。人生は、無数の線があり、そのことくらいはボクも知っていた。

そこに、その線を一気に「3D」にして現実にしてしまう要素が加わった。3つ目である。名前が「カルティエ」。カルティエ、カルティエ、カルティェ、カルチエ、カルチェ、カリチェ、カリチェ、、、「よし、買った!!!」

早い速いと書いて早速だった、ボクがその言葉を発するのに1秒ともかからなかった。慎重に検討するにあたり、1秒ともかからなかった。まさか、「カリベ」というルーツがここから来ているとは。。。以来、私がカルティエを愛してから早13年。

以来、購入したコレクションは財布から始まり、手帳(小)、キーケース、タバコケース、名刺入れ、サングラス、ベルト、ボールペン、手帳(大)、リング(トリニティ)、ペンダントネックレス(トリニティ)、セカンドバッグ、香水、などなど。

学生卒業して企業に内定もらうじゃないですか。そしたら翌月給料もらえることがほぼほぼ確定なんでね、無人君というトモダチにお金を借りてね、40万円くらい購入した。「無人君いい奴なんだよ。笑顔で貸してくれるんだ♪」なんて言いながら。なにが「♪」だ。

とにかく、そんな感じで、カルティエは私の忠義を尽くすブランドとなっていったのである。カルティエ、調べてみるとですね、これがまた魅力的。その歴史はすこぶる重い――。

例えばですね、世界で最初の(一般用量産)腕時計とか、防水の腕時計の開発とか、今ではよく見る三連リングなどはカルティエによるもの。これらが、全部友人に依頼されて開発されたものだということが、また魅力なのである。

世界で最初の(一般用量産)腕時計「サントス」は、

「飛行中でも操縦桿から手を放さないで時刻を確認できる時計を」とブラジル飛行士アルベルト・サントス・デュモンより依頼されたことによって開発された。

腕時計「パシャ」は、

モロッコのパシャ(太守)に「プールで泳いでも平気な腕時計」すなわち防水性の高い時計を依頼されて作ったのが始まり。

リング「トリニティ」は、

フランスの詩人ジャン・コクトーに「愛する人のために、この世に存在しないリングを」という依頼によって誕生したリング。

どれもジュエラーながら、仁義のにおいがするではありませんか。それからね、カルティエと言えば、やはりジュエリー。世界でも最多の王室御用達のジュエラーとして拝命、特にイギリス国王エドワード7世からは「宝石商の王ゆえに、王の宝石商」などと絶賛されている。

また、当時技術的にも不可能とされていたプラチナをジュエリーに起用することに成功、あとは腕時計の今日でも見るなんとかっていうあのバンド(開閉部)もたしかカルティエだったような気がする。

とにかくですね、前座はこれくらいにして、とにかく、カルティエの歴史を知ってからより一層好きになったんです。そうですよ、だから、というか、それをきっかけにジュエリーの仕事、してます。

とにかくですね、前座はこれくらいにして、何を言いたいのかと言うと、

「カルティエのキーケース、失くしてしもうた~」

いやですね、自慢じゃないけどタバコケース(もうたばこは吸ってないけど)は3回失くした。それも、全部スノボで。さすがに、4回目は買ってないんですがね。今度は、キーケースだ~ これ以上何を失えば・・・ なんども探しているよ、どっかに君の姿を ポケットの中、居酒屋の席、こんなとこにあるはずもないのに・・・

なんでないんだろぅ、。・゚・(ノД`)・゚・。 びぇぇぇん、びぇぇぇぇん

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