粋華志義

寺田屋伊助あて/慶応三(一八六七)年五月中旬

拝啓
伏見宝来橋京橋の回船宿
大浜濤次郎事
寺田屋伊助様 才谷梅太郎事
取巻抜六
親展
望遠鏡一つ
時計 一面 添

ますますご無事にお過ごしのこと何よりです。

私はこの頃隠居している主人より脱藩罪が許されましたが、土佐へは帰らず、そのまま長崎で以前から共にしていた人たちを預けられることになり、私は海援隊長を申し付けられ、すなわち長崎で学問所を開き、若者の世話をしています。

この頃藩主の用で荷物を大阪に送る途中、備後箱の岬沖で紀州藩船の明光丸という船が、私の船の横に乗り掛け、図らずも私の船は海の底に沈んでしまいました。

これよりまた長崎へ帰ります。

この度の事は紀州はどういう勢いか、あまりにも無礼な事で、私の仲間たちや便船を借りる件などは鞆の港へ置き去りにし、藩主の急用があると言って長崎へ出帆しました。船の荷物はもちろん、便船を借りる件も皆金も何も