粋華志義

(坂本乙女あて)内蔵太ら土佐人の活躍/慶応元(一八六五)年夏推定

 

その後お久しゅうございます。
近頃、さぞやご心配されていることだと
思っております。さて、私や英太郎たちは皆元気で精出し頑張っております。
どうか今年中お待ちくだされば
面白い話を
お聞かせいたします。今、
薩摩藩邸に居ります。
近頃、将軍が大阪に
来られ、長州征伐するということも言われていますが、大軍はただ
無益に日を費やして
いるだけで、何の動きも
ありません。
池内蔵太については、この頃八度の
合戦に参加しだんだんと
戦の功績を上げています。
最近長州では遊撃軍の参謀作戦をたてる人という役に
就いて、その気概ある行動は諸軍を勢いづけていますから、
見張り役を兼ねて一軍四百人の
先頭に立って、馬上において
内蔵太に旗を一流れ
持たせております。
だいたい、土佐から出てきた者は
どこでも皆大将となりますし、
また戦いでも一番強く、潔く
討ち死にする者が多いのです。
ああ今、土佐藩政が
都合よく動いていれば、全国に
名が知れ渡ることでしょうに。
残念なことです。