粋華志義

吉村虎太郎を惜しむ/文久三(一八六三)年秋頃か

先日頂いたお手紙、お歌などまことに面白く拝見しました。
私は急用があり、
これから江戸に参りますので、
そのお知らせかたがた先日のお返事さし上げましょう。
○先日大和の国で、少し戦のようなことがあり、
それに加わっていた、池内蔵太、吉村虎太郎、平井の親戚の池田の弟、水道町のおさとの坊主など、
先日みんな負けてしまったそうです。
これは、どれもが皆、戦い方が悪いのです。
京都から各藩に対し、攻撃の兵を出すように仰せつけられたのです。
みんな、どうも戦の仕方を知らないから、ただ、ひと負けに負けたそうです。
かわいそうに、私が戦の指し図をしたなら、まだまだ討手の勢力は わずかな寄り合いだったから、打ち破れたのに、と残念です。

まずは取りあえず。早々頓首。
龍より

乙 様
春猪様
足下

なお、例の柳の養子の都合のことは、思っている精いっぱいのことを、川原塚に言ってあります。
その手紙をご覧なさい。