粋華志義

脱藩後初めての手紙/文久三(一八六三)年三月二十日

そもそも人間の一生など、分からないのは当然のことで、運の悪い人は風呂から出ようとして、きんたまを風呂桶の縁で詰め割って死ぬこともある。
それと比べると私などは運が強く、いくら死ぬような場所へ行っても死なず、自分で死のうと思っても、また生きなければならなくなり、今では、日本第一の人物勝麟太郎殿という方の弟子になり、毎日毎日、前々から心に描いていたことができるようになり、精出して頑張っています。
ですから、四十歳になる頃までは、うちには帰らずに働こうと思っています。
兄さんにも相談したところ、最近は大変ご機嫌がよくそのことについてもお許しが出ました。
国のため、天下のために力を尽くしています。
どうぞお喜び下さい。かしこ。

三月二十日

乙様
おつきあいのある人のなかでも、ごく心安い人ならば、そっと見せてもいいです。かしこ。