粋華志義

【人間力第67回】哀の感情に支配されるその影響

ここでも哀の及ぼすその影響について考えていこう。
では逆に問いかけてみる。哀しんで何かプラスになることはあるのだろうか?こんな質問をして「人間として冷めている」と言われるかも知れないが、ここは一つ、真面目に考えてみる。もっとも、冷静でいられる今でこそ考えられる問いだ。

おそらく人は哀しみに浸るとまず元気が無くなる。これは誰もが、異議はないことと思う。猪木氏の名言「元気があれば、何でも出来る」としたら、元気がないのでは何も出来ないということになる。

私が言いたいのは、これが全てである。この言葉に全てが凝縮されている。ただ、人は哀しまずにはいられない、と言うか、先にも申した通り一般に、哀しむことのない人間がいたとすれば、それは人間ではない、化け物だ。

私だって最愛の人が仮に、仮にだけれども、こんな事口にも出したくないが亡くなったとする。それは想像も絶することだ。涙はそれこそ溢れ止まらないことだろう。今からでも出てきそうな勢いだ。しかし、その事に溺れて元気を失くし、全てに対していつまでもやる気を起こさず、くすぶっていく姿を見て、その最愛の人はどう思うだろうか。→そういう事なのだ。

他にも恋愛や仕事、人間関係など色々と哀しみという感情が今後も出てくることだろう。そして状況によっては、それは一時的な失敗と置き換えられる場合もある。失敗の時と同じく、ソレに対応出来る様に自分を自己啓発していくことが肝要と言える。

ここで、坂本先生の言葉を思い出してみる。
「おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ」