粋華志義

エタ ヒニンの実態

「エタ ヒニン」とはたしかに学校で習う言葉でありましたが、恥ずかしながらその実情はまったく知りませんでした。周知の通り江戸時代の被差別用語だが、これだけ幕末の本を読んでいても、これについてはついにひとつも出て来なかった。それが、「この本で幕末は最後だ」と決めた本に出てきて今、(こういう言い方は適当ではないかも知れないが)おもしろい。

その差別の仕方が、すごい。古今東西の差別の中でも類がない(らしい)。穢多非人。穢多(けがれがおおい)非人(ひとにあらず)ですからね、名前からすごい。傘の使用は禁止、平民に殺されても人ではないことから奉行所でも取り沙汰されない、とか、彼等が住む江戸の拠点、浅草今戸の所謂穢多村は江戸の地図でも空白になっている――この世に存在しないということからだろうか――

この制度の廃止に尽力したのが、幕末の松本良順先生であります。そう、将軍を診る奥御医師でありながら、近藤勇や沖田総司の看病、神奈川県の大磯町にて海水浴場を初めて開いた人~