粋華志義

【人間力第7回】便利になると失われがちな人間力

 ところで、皆さんは年賀状を今でも手書きで書いていますか?おそらく、大変少ないと思われます。今日では一般家庭でも簡単にPCで印刷ができ、どころか、年賀状を出さずに新年の挨拶をEメールで済ます人も多いことでしょう。

しかし、このような今日でも、手書きで丁寧に書く方も勿論います。これらPCで一括にプリントアウトしたものと、手書きの年賀状、受け取って嬉しいと感じるのは一般に手書きの方かと思われます。手書きならではの、なんというか、暖かさ、これが、人間らしさであり、私の言う人間力効果の一端であります。

 前に時代の話を少し取り上げましたが、実は時代が変わってもどうやらこの人間力というモノは変わりがないようであるのです。農耕時代も戦国時代も産業時代も現代の情報時代でも、変わらず活き続いてきたモノ。

ただ、現代ほど人間力が薄れてきた時代もなく、故に現代ほど人間力が必要な時代はないだろうと思うのです。そして、この意味はこれからもっと強まって来ると思われます。

つまり、先に挙げた年賀状の例は当たり前の事すぎて、人々は既に気付かない傾向にあります。指摘されれば「言われてみれば」と思う程度、仮にその必要性を感じたところで、わざわざ年賀状を手書きで、という“実行”にはなかなか移さない。これは、そうしない方が便利だからです。今でこそ便利の方を優先するが、それに溺れてしまっては危険だ、と思うのです。

この状況を言い換えると、人間力が失われているのを便利性でカバーしているという事であります。今くらいの便利さではまだ人は気付きにくいが、これに溺れるといわゆる「冷たい人間」にならざるを得ない。「都会の人間は冷たい」と言われる、アレであります。