おもしろき こともなき世を おもしろく

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イスラエルの山奥でりんご詰めしていたらミサイルが飛んできてレバノン戦争が勃発

逃げの小五郎、と言う。

西郷隆盛、大久保利通と共に維新の三傑に数えられるこの木戸孝允は、幕末時代、桂小五郎と名乗っていた。小五郎は当時江戸の三大道場であった「力の斎藤」練兵館の塾頭を務めており、同時期 同じく三大道場である「技の千葉」千葉道場塾頭・坂本龍馬と共に、剣豪でありながら、また、維新回天の立役者になるほど国事に奔走しながらも、ついに人を殺めなかった話は有名である。何で昔の人は名前をコロコロ変えるんだ。


「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」
「では、逃げればどうなるんです」

「同じことだ、闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。この場合はむこうがむしょうやたらと追ってくる。人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない」
→これが龍馬の考え。


「わしの剣は、士大夫の剣だ」
と、かつてこの男は幾松にめずらしく自慢したことがある。「士大夫の剣とはどういうことどす?」

「逃げることさ」
桂が塾頭をつとめた斎藤弥九郎の道場には六カ条から成る有名な壁書があった。そのなかで、「兵(武器)は兇器なれば」という項がある。一生用ふることなきは大幸といふべし。出来れば逃げよ、というのが、殺人否定に徹底した斎藤弥九郎の教えであった。
→これが小五郎の考え。だから、逃げの小五郎。

実際、幕末では白刃の林を曲芸師のようにすりぬけてきた。池田屋の変のときも、この男は特有の直感で、寸前に難を避けた。あの日、集まることになっていた同志のなかでの、唯一の生き残りである。雲助、乞食、あんまに化け、町人に変装、寺男になったり、問屋に奉公したり、荒物屋を開いたり、湯治客になりすましたり、どっかの本では幕史に捕まった時、腹が下ってるといって厠に行かせてもらい、そん中から逃げた。。。とにかく、逃げの小五郎。

逃げ、と言われれば薩摩隼人も聞こえが高い。彼等は、攻める時は「きゃ〜」という一種 猿のような高い奇声を発し、それこそ猪突猛進して攻めるという。記録では西南戦争の時に、嫌々にも敵側となった官軍を戦慄させている。が、しか〜し!ダメだと思った時は即刻逃げる、猪突猛退、とでも言えるだろうか、これには薩摩軍に協力した熊本軍などがその逃げ足にびっくりしている、だって気がついたら薩摩軍が一人もいない、そりゃびつくりだ。潮時を知っている、というのだろうか。正に、翔ぶが如く攻め、翔ぶが如く退く。

薩摩と言えば、関が原でも有名な話だ。それまでの話は省略するとして、とにかく西軍にいた島津義弘は、逃げることを判断した。西軍の敗北を感じたのであろう。かといって四方退路を遮断される中、大胆にも前方、敵の大軍の中を突破するという離れ業をやってのけた。ただし、1500人いたのが、逃げ切った時には80数人という。

逃げるというのは一見卑怯にも感ずるが、以上の様に時には合理的にも思われる。例えばバイクで走ってたら、道路のど真ん中にゴルフのクラブを振り回している、それこそ「きゃ〜」という一種 猿のような高い奇声を発し、猪突猛進してくる明らかに㋳のつくようなお方がいらっしゃればどうしますか。ボクは逃げましたよ、翔ぶが如く。

例えば、電車でボックス席あるじゃないですか。4人も座ればそのボックスは満席で、目の前の人がちょっと大きめの人ならひざとひざがくっつくってゆうあのボックス席です。でね、目の前に座ってる人はですね、なんか調子悪いみたいなんですよ。いや、もっと言えば気持ち悪そう。いや、もっと言えば飲み過ぎで酔いつぶれてる。でもね、人は良さそうな顔してるんですよ。今日も一日三膳してる、そんな目の前に座ってるクールな好青年がですね、吐いたらどうしますか。最初は口で抑えたんですけど、抑えきれず、その指と指の隙間からはじめはゲロがもれて垂れるんですが、次第になんて言うんですか、発射するように飛び出し、最後には出てくるもん無理に抑えるもんだから、爆発するようにゲロ吐いたら、どうしますか。ボクは逃げましたよ、翔ぶが如く。というか、指の隙間から垂れた時点でそのボックスから逃げてた。(でも幸い、というか、その人理性はあって、次の駅で申し訳なさそうに降りてった)

でも、逃げてるばかりじゃダメですよ、そりゃ。背中に傷を受けるなんてのはもっての他、それなら潔く散るべきです。あの海賊狩りのゾロだってね、鷹の目ホークに負ける時、背中にだけは受けなかった、正面からその負けの一撃を食らうんですよ、さすがは剣豪。新撰組だってそうだ、あれ傷を負って逃げたら隊規に背いたとの事で死罪ですよ、さすがは鬼の副長。

 

話を翔ぶが如く飛ばすと、ある日、りんご詰めしてたんですよ。どこでって、歩いて10分でレバノンとのボーダーラインに行けるところ、イスラエルの最北部。朝6時に起きてですね、6時半からりんご詰めしてたんです。その代わし、飯とか、飲みもんとか、勿論寝るとこもあって、火曜と金曜にはパブなんかオープンしちゃってね、ビールとかウォッカ、お酒は飲み放題。世界中から人が集まるもんだから、ちょうどその時期やっていたワールドカップなんか自分らで開催してね、でも日本人はボク一人しかいないもんだから日英同盟して、準優勝したりとかね。ほんと話がぶっ飛んだ。

いやですね、“ユダヤ人”ってのが当時キーワードで、ユダヤ人に触れてみたかったのです。もっと言えば、ユダヤ人の考え方を知りたかったんです。「ユダヤ人が次に狙ってるのは、水だ」とか、「ユダヤ人は常に100年単位で物事を考えている」とか、某ブランドK会長は、「人生のターニングポイントは、ユダヤ人と付き合いはじめたことだ」なんてね。加えてダヴィンチ・コート(まだ観てないけど)からテンプル騎士団、フリーメーソンまで広がり、坂本龍馬がどうの・・・、とかが同時期に耳に入って来てですね、運命ですかね、ついにはイスラエルに行ける案件が手元まで舞い込んできた。

目的を定めましたよ、行くからには。
1、ユダヤ人の考え方を知る
2、英会話をモノにする
3、世界各地に友人を作る(自分の視野を広げる→自己啓発)

これがみんな、タダで出来るってんだから、資金がない自分には最適で、且つ、こんなワクワクする企画はなかった。イスラエル行く前にですね、人に聞かれるじゃないですか、理由を。上記の様に説明するんだけど、だんだん面倒になってきてですね(本当を言うとまだ他に企みもある)、最後の方は「ドラクエで言う、パーティ編成をしに行く」みたいに言ってたもんだから、人には怪しまれる一方でした。とにかく、この時点では逃げていない。

ボクが言ってるこの施設を、キブツと言う。ウィキでは集産主義的共同体、とある。ややこしいんで、簡単に言ってしまうと、共産主義のシステムをもった集まり、だから村もあり、ホテルを経営してるのもあり、レストランもあり、牧場もあり、とその形態は様々。そこで働いても基本的に給料はなく、その代わりキブツ内の施設は全部タダ。でも、共産主義と言わないのは、なんか違う、のかな。そもそも集産主義的共同体と共産主義共同体の違いがよくわからない。まだ、逃げてな〜い。

一説によるとこのキブツ、防衛上の施設として始まったとも耳にします。つまり、イスラエルはご存知の通り隣国は全て敵国で、国は出来たがいつ攻められてもおかしくない、というか、国出来た時点から争っている。そこで、世界中から人が集まるような施設を作っちゃえば、隣国は攻めづらくなる。隣国も自分の友好関係にある国の人を殺したくないだろう、ということで。言わば人の壁ですな。その証拠にこのキブツ、イスラエル内部よりも国境近くに多くあり、今では250施設を超えるといいます。まぁ、聞いた話ですけどね。

で、イスラエルに到着し、仕事を終えてから、このキブツ本部に行って交渉。なんせ250もありますからね。「日本人がいないところ」→目的が英会話をモノにする、ですからね、自分を追い詰める為にも必須条件ですな。「とにかく人が多いところ」→目的が世界各地の友人、ですからね、これもやはり曲げられない。すると即刻決定、「じゃぁココね」みたいな感じで、そう、気がついたらある日、りんご詰めしていたわけですな。やっと上の話に戻った。

で、ある日りんご詰めてたんですよ、そしたら、

「ドーン・・・」

って、確かに聞こえたんですね。いや、そんなに近くじゃないですよ、遠くの方から聞こえる。りんご詰め工場にはいつもラジオがかかってるんですけど、明らかにそのラジオではなく、外から「ドーン・・ドーン・・・・」って、聞こえるんです。そしたら間もなく工場内の機械が止まって、工場長が口を開いた→「シェルターに逃げろ」 この時、この工場長があまりにもそっけなく号令したので、誰もが慌てずに、言ってみれば緊張感もなく、工場の出口へ向かった。

工場の外に出てみると、その音はよりリアルに山間部に鳴り響いていた。ボクが目の当たりにしたのは、イスラエル人達の統率力だった。数日前はバーでボク等にビールを出してくれたおっちゃん、いつも犬を連れて歩いてる気さくなおじいさん、店の兄ちゃんなどがそれぞれライフル銃を持ち、かけている。既に各持ち場がある様に見えた。また、シェルターも一つではない。このキブツは600人ほどからなる村だが、その分いくつもシェルターがあるようだった。

ボク等はシェルターの場所すらも知らない、そんなボク等への指示をするイスラエル人は終始落ち着いている。もう、こういったことに慣れているのか、それともボク等に不安がらせない様にするためか、いや、おそらくはその両方だろう。引き続き山間部に爆発音が響いている。そのシェルターの振り分けも見事なもので、ボク等ボランティアはおかげさまで緊張感なく、シェルターまでたどり着いた。

シェルターは地下でしてね、階数で言うと、地下2階くらいじゃないかな、とにかく、そんな深くなかったです。入って間もなくですね、ここに寝泊りするかもしれない、長ければ10日とかいるかも知れない、という御触れがあり、ダッシュで皆必要なものを取ってくるように、となった。ボクも早速取りに行きましたよ、カメラを。

いや、今日この日の為に、撮ってきました。


まず、これが地下への階段。


みんな、状況を真面目に聞く。何でこうなったか。

歩いて10分で行けるレバノン内部で、テロが起こったらしい。その犯人がイスラエル人らしい、たしかそんな理由でレバノンがイスラエルを攻撃したらしい。攻撃地点は今自分等がいる地点より20kmほど離れたマロン山エリア、40kmほど離れたハイファとの事、らしい。全ては聞く話で真実はなんなのか解らなんだが、とにかく今、頭上をミサイルが飛んでいる。

3時間くらい経ったのだろうか。御触れが出た。「みな、外に出てもよいぞ!」思ったより早かった。


てか、こんなに早く出てもいいのだろうか。

外は、いつもと変わらぬ風景。今までこのキブツが攻撃されたことはない、とは聞いていたものの。結構みんないつもと変わらない。それより、そこの家ん中に女の子普通にいるし。アンタ、避難してたのか。どういうことだろう。ライフル銃を持って各持ち場(?)にかけたり、我々をシェルターに誘導するといった統率面、団結力も見えたかと思えば、家の中でキャッキャしてる女の子もいる。シェルター出たら出たで、夕食の時間、みなでダイニングルームで普通に食事している。

その夜、というか翌朝、たしか2回くらいまた爆発音が聞こえた。この日から数日間、数回爆発音が聞こえたが、もうシェルターに逃げることはなかった。が、この村が後にイスラエル軍の一つの拠点となり、徴兵されてる若いイスラエル人がいっぱい来た。ただ、これより間もなくイスラエル人が数人捕虜となり、レバノン戦争が勃発することになった。。。 翔ぶが如く逃げるのもいいが、龍馬が言う、「相手の気を抜く」ことが本当に出来るのなら、それに越したことは ない。

 

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