おもしろき こともなき世を おもしろく

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――いよう。幕末最大の粋な名場面

 ―――幕府の作法で、将軍の顔というのは大名でも見ることができない。江戸城での拝謁のときは上段の御簾のなかに坐し、御簾があがっても諸大名は平伏したままで顔をあげてはならないことになっている。たとえ上目でも将軍を見ることは非常な非礼とされているため、江戸の市民でも将軍の顔をおがむことはできない。

が、この異例の行幸の異例さの第一は、将軍が馬上で全身を衆目の前に曝してしていることであった。

(こんな若者だったのか)

と、晋作は近づいてくる徳川家茂の騎馬姿をながめて意外な思いがした。存外、可愛げではないか。

ひとびとはみな土下座し平伏している。が、晋作だけは顔をあげていた。

「いよう。―――」

と、この男は、花道の役者に大向うから声をかけるように叫んだ。

「―――征夷大将軍」

といったとき、さすがに連れの山県狂介らも顔色をうしなった。家康以来、天下のぬしに対してこれほどの無礼の挙動をとった男もない。そういう事件も、徳川三百年間、一件もなかった。もしあったとすれば、ただの刑では済まず、鋸挽きの刑にでも処せられたであろう。

ところが幕府にこまったことに、これは将軍が主役の行列ではなく、将軍以外の権威である天子の行幸であった。天子に対する無礼ならば将軍以下の供奉の者が家来に命じて取りおさえさせるはずであったが、将軍すら天子の供である以上、彼自身に対する無礼は、それを咎める機能がこの行列にはない。将軍のそばには五千石、三千石といった高禄の旗本が徒歩でつき従っており、また番頭以下の親衛隊士もいる。しかし勝手にとびだして天子の行幸をみだすわけにはいかなかった。晋作は、戦略眼に富んだ男だけに、そのことはよく知っていた。

このとき、将軍の従士たちはよほどくやしかったらしく、このあと江戸までこのことを手紙で書き送った者が多い。

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