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寺田屋お登勢あて/慶応三(一八六七)年二月十三日
先日手紙を出しましたが、そのあとに箱が一つあるではないか。 宿のおかみがもし、これは何でございますかと聞く。 ここへ忘れてしもうた。 それはさて…
先日手紙を出しましたが、そのあとに箱が一つあるではないか。 宿のおかみがもし、これは何でございますかと聞く。 ここへ忘れてしもうた。 それはさて…
乙女さんに差し上げます。前々から、申しあげていた妻のお龍は、望月亀弥太が討ち死にした時の難に遭った者で、また土佐から出て来た者が、この家で大変世話に…
何かお話を妻より 申し上げるべく 来年上京いたしますので、 お目にかかりましょう。 お龍の老母が前から 家計のことで世話になっており…
本文は溝渕に送った手紙の下書きです。ご覧いただくために送ります。先日聞き入れてくださった私の考えのあらましを認めましたので、ご覧ください。 私は…
その後はますますお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。ところで、先月七月二十七日から八月一日、小倉城がついに落城したと聞きました。さて、内々にお聞か…
細川左馬之助は 以前から海軍への志があり、 馬関から 龍馬と一緒に 上京していました。訳あって 薩摩に行こうとしていますが、 今、幸…
表に御記被レ成候 六条ハ、小、西、両氏及 老兄、龍等も御同 席ニて談論セシ 所ニて、毛も相違 無レ之候、後来と いへども決して …
西町の内蔵太の母はいかがだろうか。本当に心配しております。 そこで、内蔵太のことです。 この頃、相変わらず一大軍四百人ぐらいの 参謀となって戦場…
私どもと一緒に頑張っているのは、二丁目の赤づら馬之助、水道通横町の長次郎、高松太郎などで、望月は死んでしまいました。 二十人ばかりの同志を率い、今長崎の…
九月六日朝、思いがけず京都寺町で川村盈進入道に行き合い、幸いにもご一家の様子など伺い、ご機嫌よろしくめでたいことでありました。次に私はじめ高松太郎もふだんと…