おもしろき こともなき世を おもしろく

  1. 粋華志義
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志とゆう生き方

今日のコロナ禍では全く、人間とゆうもの、人生とゆうもの、さまざまな事について考えさせられる事ばかりではなかろうか。もっとも、自分にとっては15年前より考えていた事にいよいよ確信を持つばかりの日々を、タイ王国非常事態宣言下の自粛生活のうちに過ごしています。

その確信とは何か?それを自分も一緒に論理的に考えてゆきたい。※少しだけ長いのでお気をつけてください

■幸せ?

これに自分はなんて答えるか。自分の答えは今も変わらず「幸せ」だ。それだけは間違いない。では、何故幸せなのか。“超‘’健康な五体満足な体を持ち、愛する家族がいて、コロナ影響下でも順調な仕事があり、ストレスフリーなタイ生活、それから日本にはいつ帰っても変わらない友がいる。これを幸せと呼ばずに何て言えようか。

チェッカーズも言ってましたね。
「思い出の半分はいつまでもあいつらさ」

しかしながら、ここで1つ考えてみる。では、結婚する前までは幸せではなかったのか?お金がなかった下積み時代は幸せではなかったのか?タイに移住する前は幸せではなかったのか?答えはいずれも「幸せだった」だ。では、自分にとって幸せとは一体、何なのか。

言うまでもなく、幸せとは外から来るものではなく、内から来るものであります。つまり、人に言われて幸せか否かが決定されるものではなく、自分が感じるもの、そう思うもの。つまり、自分が幸せだと思えるのであれば、間違いなく、それは幸せなのである。

ミスチルも言ってましたね。
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気が付けばそこにある物」

この観点で言えば、幸せもそのようなものでありましょう。

今ひとつ言えることは、幸せは幸せでも、その度合いは違うとゆう事が言えそうだ。例えば、甘酸っぱい青春時代も良いけれど、愛する人と結婚して子どもに恵まれる喜びは言葉にできない。例えば、アントワープとゆう見知らぬ土地でお金がなく1日の食が水で作るカップラーメン、自分へのご褒美の日であってもマックのハンバーガー単品1個、とゆう生活よりも、美味しいものを好きなだけ食べてその会計にビビらなくなった事、これがどれ程幸せな事なのかはマックのハンバーガーのあの「美味しさ」を知る自分が一番よく解っている。例えば、故郷の町章を自らの体に入墨するような郷土愛、ひいては愛国心を持つような男が敢えてその地元を離れて且つ自国までをも出ることの一興。こうした調子でいるから、自分の幸せは一貫している上に、増幅している事も間違いない。

では何故、自分の幸せは一貫しているのか。それだけではなく、増幅しているのか。それは、自分の場合、「一貫してやりたい事をやっている」からだと、ここに至ることになるのです。

■やりたい事、やってる?

しかしながら「やりたい事をやる」とゆうこの自分なりの、幸せの定義とも言えるものが、どうやら世間一般とはズレているらしい。

どうズレているかと言うと、具体的にはこうだ。

「お金がないから…」
「結婚したから…」
「長男だから…」
「家のローンがあるから…」
「この歳で失敗はできないから…」

こうした事が世間一般では、どうやらやりたい事はあるけど、それを「やらない理由」となるらしい。どうもココが、自分とは違うらしい。

具体例を出してみましょう。あれは自分が一つ目の会社を起業した時の話。そう、1.8畳のオフィスに住込みで株式会社を立ち上げてまだ間もない頃。起業したはいいけどすぐに資金はなくなり、夜は佐川急便でバイトする事になった。昼は起業、夜間はバイト、住処は1.8畳といった、絵に書いたような下積み暮らし。

その日は台風直撃とゆうこともあって、バイトに向かう夕方になっても電車は動いてなかった。電車がダメなのでどうやって行こうかググっていると勤務地付近の一部路線は動いている様だったので、その路線までは自転車で行き、全部の区間を自転車で行くことにならなくてラッキーくらいのノリで佐川急便の作業場に着くと誰もいなかった。いや、管理職の人が2-3人いた程度で、普段は100人いるような現場で作業する人は誰も来なかったのだ。

この時に世間一般と自分とのズレを感じた。世間では「台風」が仕事場に「行かない理由」になっていたのに対し、自分の場合は台風が仕事に「行かない理由」とはならなかった。その証拠に自分の中にはあの日、台風であっても「行く?行かない?」とゆう選択肢がそもそもなく、「どうやって行こうか」の思案しかなかった事でもわかる。

誤解なきように言うと十年以上前の話であり、少なくとも関東生まれの自分世代はそれまで台風の被害にそれほど直面した経験がなかったとゆう事も考えられる。だから、台風でも仕事に行け!とは、今は必ずしも思わない。それに、台風直撃と言っても、一部路線は運行されている程度の状況であり、言わば「行こうと思えば、難なく行ける環境」であったのです。

このような調子で、自分の「やりたい事」を片っ端から実行した結果、15年間で23回転職して26回引越して5カ国に棲んで、4社起業して2社潰す、といった数字となったわけです。

話は元に戻して或いは、こんな言い訳も聞きます。

「仕事が安定したら…」
「子どもが大きくなってから…」
「貯金が貯まってから…」
「準備ができてから…」
「計画して将来性が見えてから…」

これも、どうも違和感を感じちゃう。その人との人間関係もあって滅多な時でもなければ言わないけれど、そんな事を言われると心の中では、こう思っちゃう。

そんな事言ってたら人生、暮れちゃうよ?

って。

■晩年に思う後悔とは

ここで、こんなにも「やりたい事をやる」に関して実例を出してまで自分がこだわりたいのは、一つ理由がある。それは、

人生一度きり

とゆう事実だ。輪廻転生があって来世はあるかも知れない。例え来世があったとしても、現世で今、大切な人とは来世では(同じ環境では)会えない。愛する家族も莫逆な友にも恩人にも二度とは会えない。天国や地獄もあるかも知れず、ないかも知れない。死後の世界はどうなっているのか、いや、そもそも死んだら肉体とか魂云々の話ではなく、なのではなかろうか。そしたら本当の、である。とは、真っ暗で、あの高名なブラックホールみたいなものか。いや、ブラックホールすらも感じない、とゆうか何もなくなる。それを感じることも、考えることも、見ることも聞くことも、音も匂いも景色も何にもかもくなる。であることを感じられないくらいの、存在自体がなくなる。完全なる。←これって、怖くないですか?

こうした事を考えると、何かを「やりたくなる衝動」に駆られるのは自分だけだろうか。

信長の頃は五十年だった人生も今は百年と言う。実際に自分の祖母は104歳、まだ健在だ。大正生まれのお婆ちゃん、元気にしてますか?

人生百年と言ってもどうだろう、一番脂が乗ってる世代とゆうのは40代ではなかろうか。50代もまだまだ現役と言うのも解るけど絶頂期はやはり40代かと思ったり、する。自分は今年42になる歳だ。この40代をいかに自分らしく駆け抜けようか、それを考えるとたまに夜中に目覚めて瞳孔が開いて眠れぬ日もある次第であります。

どこかの記事で読んだものが印象的だったのは、晩年を迎えた人たちに「人生で一番後悔した事は?」とアンケートを取ったとゆうもの。一番多かった回答はこうであったらしい。

「あの時、もっと挑戦しておけばよかった」

■現代人が生きる3つの世界

人それぞれ幸せのカタチがあるのと同じように、人それぞれやりたい事も異なってくるとゆうもの。そこで、今回のコロナ自粛をしている内に気づいた事があるのです。

それは、今の資本主義社会に生きる我々にとって3つの世界、3つの生き方があるんだなぁ、とゆうものです。もちろん、良い悪いの話じゃないです。大別すると、3つの異なる生き方とゆうものがあるんだなぁ、とそう思っただけ。その3つの生き方とは、こうです。

★その1.仕事に生きるタイプ

仕事人間な人。仕事に忙しい人。お金儲けが好きな人。仕事で成功した人。仕事大好き人間。または、仕事に人生を支配されている人もココ。
一番解りやすい例で言うとホリエモンとか。かの人はこの点を徹底すること超越しているので偉人である事は間違いない。他にも芸能人やスポーツ選手などその道を極めた有名人はほとんどがこちら。

★その2.プライベートに生きるタイプ

家族ありきの人生。友達大好き。趣味を大切にする人。仕事するのは家族の為。自分のプライベートに重きを置くタイプ。
主に一般庶民で一つ目の「仕事に生きるタイプ」でなければこちら。

大抵は上2つのいずれか、いや、多くの人がこの2つを兼ねているケースがほとんど。例えば、家族を大事にする芸能人(仕事人)は上の2つの世界を同時に持ち、後はその割合だとゆう考え。或いは、メインをどっちにおくか、「やりたい事」の主軸をどこに置くか、とゆう考え。

そして3つめの生き方。それは、自分が20代後半の頃から本格的に踏み入れた世界、生き方。上の2つのいずれにも属さないやり方、生き様。それが、とゆうものであります。

■志のゆう生き方

これが、なかなか、おもしろい。

★その3.志に生きるタイプ

何か志を持ち、それに向かって歩んでいる人。それは、お金とは関係がない世界。総じて、社会貢献に関する事や、自分の夢を志すケースが多い。
解りやすい例がボランティア活動、NPOやNGOに尽力する人達、ロータリーやライオンズ等の奉仕団体。その他では、役者やミュージシャンといった自分の夢を志すタイプ、或いは研究者といった博士等々。

■それぞれの生き様

10年以上も前の、とある日、友人宅でBBQをやっていたら友人父御が隣に座ってこう切り出した。

「俺はサラリーマンになる事が子どもの頃からの夢だった」

・・・ほ。なかなか興味深い切り出しなので耳を傾けましたね。印象的な話だったので今でもはっきりと覚えちょる。

「毎日満員電車に揺られて新橋まで行って、夕方はまた満員電車に揺られて帰ってくる。すると我が家には愛する奥さんがいて、子どもがいて、家族がいる。そして今、俺はその夢を叶えている。俺は幸せだ

自分は正直、痺れましたね。今回の話で言うと上の2番目・プライベートに生きる人の一つの成功例と言っていい。ホント、かっこいい。そして、人が持つ夢(志と言っていい)とゆうのは、比べるものではないとゆう事を思い知らされた。

例えば、一般的にイチローは偉人で知られる。子どもの頃からプロ野球選手を目指し、一年365日中360日は激しい練習をしていたとゆうエピソードは有名でもあります。果たしてイチローはその夢を実現し、メジャーリーグでも輝かしい功績を残すに至る。

極端な話とはなるけれど、このイチローの夢と友人父御のサラリーマンの夢、どちらが大きいか?自分の答えは「どちらもでかい!」とゆう事だ。そもそも、夢や志とゆうのは比べようのないものであって、これを比較しようとする事自体が不粋な行為であると言えるでしょう。

すなわち、人の生き様とゆうのもこれと同じで、道徳的で有る事はもちろんとして、それがあれば善悪や優劣、幸せ度的な違いなど概念としてはないと考えるのです。

だから、仕事に生きようが、プライベートに生きようが、志に生きようが、どれが良いとか悪いとか、どれがすごいとかの話じゃないんです。商売に志を持って本気で稼ぎたければそれも良し、愛する家族や仲間と本気でプライベートを楽しんで人生を謳歌するのも良し、いやいや俺はお金じゃなく人の為 世の為に何事かをやり遂げたい、←こうゆう人は、誰も彼も素晴らしい事だと思う。それを本気でやっていればいるほど、生き様としてかっこいいとすら思う。

では、何故自分はこれらが素晴らしいと思うのだろう?と自問してみた。すると、それぞれのやっている事や分野は違えど一つの共通点があった。それは、上の場合、各々「やりたい事」やってんなぁ、という一点であった。

尾崎も言ってましたよね。
「人生は、きっと自分のやりたい事のためにあるんだと思う」

ところで、ここでもう一度あの言葉を思い出してみよう。

「あの時、もっと挑戦しておけばよかった」

■この言葉の意味するもの

これを言う人達は何故挑戦しなかったのか、その理由があるはずだ。多くの人が挑戦しなかった理由として考えられるのはなんであろう?例えばこんなのはどうでしょう。

「お金がないから…」
「結婚したから…」
「長男だから…」
「家のローンがあるから…」
「この歳で失敗はできないから…」

あれ。

「仕事が安定したら…」
「子どもが大きくなってから…」
「貯金が貯まってから…」
「準備ができてから…」
「計画して将来性が見えてから…」

あれれ。他にも無数に理由などは挙げられるだろうけど、多くの人が「あの時、挑戦しなかった」理由とは、、

結局はこうゆう事なのである。

つまり、自分が理由だ。その証拠に、自分の力の及ばない範囲、例えば天変地異による災害が原因で何かその挑戦が叶わなかったとする。そうした場合は「あの時、もっと挑戦しておけばよかった」とは、ならない。何故か。それが人間の及ぶ範囲でない為に挑戦する術がないからだ。解ります?「挑戦しておけばよかった」と一人称で言うとゆう事はすなわち、挑戦しようと思えばできる環境だったにも関わらず、いかような理由であろうと自分の意思で結局は挑戦しなかった、とゆう事なのである。

何が言いたいのかと言うと、「やりたい事をやる」とストイックに自分が言うているのはここでの「挑戦する」と同じことなのだ。だから、自分は強く思う。

やりたい事があるのに、挑戦しないのは、それはもったいないと思う。やりたい事があるのに、言い訳をしてそれをやらないと、このアンケート結果と同じ事を晩年に言うはめになると思う。逆に、やりたくない事をやる必要はないと思う。とゆうか、ぶっちゃけ一度きりの人生の限りある時間をやりたくない事に費やすことこそ、もったいないことはない。

それから、やる事やらないで「できない」と言うのは、それは違う。できない、じゃなくてやらないだけだ。色んな言い訳でもって「できない」理由を自ら作り上げてしまっているだけの事だ。

その際に邪魔をするのはその人の常識だったり、要するにその人の思考パターンである。思考力は、それがネガティブに働く時でも“それ”を現実化する力を持つわけだけれども、そこまでいくと本記事の趣旨とは異なってくるのでここでは割愛します。詳しくは〔人間力〕を参考されたい。

■「やって」もできない事

自分が以前、役者を目指した事があるのを地元の友は知っている。多く人が憧れる夢であり、同時に多くの人か挫折する夢の一つである代表的な例かと思う。それだけに、コネもない一般庶民がこの夢に挑戦することがどれほど過酷か、どのような葛藤の日々を送ることになるのか、少なからずこれを垣間見る体験をしました。

自分がこの夢に見切りをつける事ができたきっかけをお話しましょう。上京して数カ月、まだバイク便をやっていた頃、恵比寿の公園で待機している時の事。役者志望らしき自分と同じ年くらいの若者グループ4、5人が大声を出して演技の練習をしている。真っ昼間、恵比寿のど真ん中で、である。それを見た瞬間「俺にはできない」と思った。そう思った瞬間、「ん?なんでだ?」と思った。その時に解ったことは、決して自分は演技が好きで役者を夢みていたわけではないことを知った。要は、目立ちたいが為に、チヤホヤされたいが為に、或いはテレビや映画に出たいが為に役者になりたい、と思っていただけである事が解った。傍から見たら驚くべき事かも知れないけど、4年目にして初めて知った事実である。

いや、動機などは人それぞれであって然るべきなので、これで大成する人も中にはいるかもだけど、自分の場合、それが成らない事を悟った。何故ならその時の今、目の前で演技しているその若者らが鬼のような形相で迫真の演技をしていたからだ。この人らには勝てない、と素直に思った。役者の仕事内容は、演技。演技を好きな人が、なるべきしてなるものだと思い知らされたんですね。

努力は報われる、とか、夢は叶う、とか言うけれど自分は必ずしもそうとは思わない。だってあの時の恵比寿の人達、は解らないけど、あんな迫真でもって演技をする役者志望者なんてゴマンといるもので、その“ゴマン”のほとんどは大成しない。それが現実だ。だから、挑戦したってそれが成るとは限らない、やりたい事やったって、それができるとは限らない。そんなの解っちょる。ただ、やらなきゃ絶対にできない。やったらできる可能性はある。少なくとも0.00..1%くらいの可能性はあるかもしれない、ただやらなきゃ0%なのだ。それは、永遠のゼロ。

101回目のプロポーズの武田鉄矢が、100回目まで「俺は結婚できない」「結婚は、挑戦したけどできなかった」と言ってるようなもんだ。100回目までダメだったけど、101回目はそれが成る可能性は誰だってあるのだ。それを挑戦し続けるのであれば。

自分はかつて役者を夢みてこれに挑戦してそれは成らなかったけど、後悔はしていない。何故なら、やってみて解ることができたからだ。これは断言するが、あの時自分が役者の道を挑戦していなかったら晩年にこう言うこと間違いなしだ。

「あの時、もっと挑戦しておけばよかった」

それに今一つ思うことは、あの恵比寿の人達はたとえそれが大成できなくとも、幸せだと思う。何故なら、それが彼らのやりたい事だからだ。だから、安心してほしい。やりたい事やってもすぐにはできないし、それは「成らない」。すぐには、ね。もしかしたらそれはいつまで経っても成らないかも知れない。しかしながら、男たるもの、一旦その道を志したからには「成る、成らない」を考えるべきではない。心得たるべきことは、それが成らない場合の覚悟のみで、その道の途中で倒れようが、前のめりに倒れるべきだ。それが、志とゆうものである。

今一つの事実としては、やってそれができない場合でも、思わぬ方向に道が開ける時がある。これは、口だけでやる事やらない人には一生かけても解る事がない境地であり、実際にそれをやったればこそ得られる利益の種である。すなわち、この真実に至ることになるのであります。

どんな逆境にもそれ相応かそれ以上の利益の種が必ず隠されている

■やらない理由は2つある

もちろん、挑戦したい事がなかったり、それが興味もなくやりたくないのなら、やる必要はない。挑戦することもない。むしろ、やらない方がいい。何も、なんでもかんでも挑戦するべきだ!などとのたうち回っているわけではない。

自分だってやらない事はある。ゴルフや料理はやらないし、バイク乗りだけど修理やメンテナンス、カスタムは自らやらない(職人任せ)。これら含めて自分が何かをやらない理由は常に2つある。一つは「それがやりたい事ではないから」、今一つは「それ以上にやりたい事があるから」だ。そして、それをやらない事によって生まれる時間を、自分のやりたい事に使っているとゆう次第であります。

だから、これは誤解なきように断っておきたい。やるべき事とやらざるべき事が、あるとゆうこと。

■志のススメ

単刀直入に言おう。あなたがもし、何か やりたい事 があるのなら、志の分野を自分はオススメする。何故なら、おもしろいからだ。

もしくは、日々の生活がパターン化し人生にマンネリを感じる人、やりたい事がなく人生にやりがいや刺激を求めたい人、晩年に「あの時、もっと挑戦しておけばよかった」と後悔したくない人、そんな場合には、とゆう生き方を提案したい。

厳密に言うと、仕事でもプライベートでも挑戦する事はいい事だと思っています。現在は資本主義の社会、人間「普通」に生きていれば仕事もプライベートも持ち合わせているもの。一般的に、食べる為に何かしらの仕事に従事していて、プライベートも大なり小なりあるものですが、こと「志」に関しては、これを持ち合わせていない人も多い。志に関しては、これに関わらずとも人は生きていけるからです。

それだけに、「+志」という生き方もできる。例えば、今まで熱中していた仕事+志、というやり方。例えば、今まで謳歌していたプライベート+志、という生き様。志に生きるからといって、何も仕事やプライベートを捨てる事はないんです。

ならば、今のうちじゃないですか。今の、40代のうちじゃないですか。これだけははっきり言える。俺らの40代は、もう、とっくに始まっている。

布袋も言ってましたね。
「今までは、これからの為のプロローグ」

人生一度きり。どうせならおもしろくいきたいじゃないですか。

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