おもしろき こともなき世を おもしろく

  1. 粋華志義
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レジェンド オブ アントニオ

猪木氏はすんごい。

こんなことあったんですね↓

 1990年湾岸戦争が危惧される中、イラクのサダム・フセイン大統領は、在留外国人を国外出国禁止(事実上の人質)とした、その中に多くの日本人が含まれており、安否が気遣われていたが、外務省主導による、人質解放交渉は遅々として進まなかった、解決の糸口さえ見えない外務省の人質交渉に痺れを切らした猪木が動いた、それは被害者家族等を率いてあえて緊張高まるイラクでのイベント”スポーツと平和の祭典”を行う為、バッグダットに向かうと言うものだった。

 外務省は猪木に対しイラク行きを止めるよう説得するもこれを拒否、すると今度は人質被害者家族に対し圧力を掛け「いつ戦争が起こるか分からないし、日本政府としては責任を持てない。そんな所に行くことはまかりならん、もしどうしても猪木議員とイラクに行く場合は、・・・それはあなた方も含めて命の保証が無いと言う意味です。」と猛烈に反対した。 

 イラク邦人人質被害者家族は悩んだ末に、外務省ではなく猪木に全てを託す事にしたのである。 

 1990年11月猪木は日本の各航空会社にイラクへの出航を要請したが、外務省の強い圧力により一度決まっていたフライトをキャンセルされると、他のいずれの航空会社も拒否してきたことでイラクへの直行便の計画は暗礁に乗り上げた。 

 やむなく猪木はユセフ・トルコに相談し、チャーター機の費用を猪木個人が負担しトルコ航空によるトルコ経由でのバグダッド入りを決意する。

 1990年12月1日 そして平和の祭典関係者や人質被害者41家族46人と共にトルコ経由でバグダット入りを果たす。サダム・フセイン大統領が、一国会議員でしかない猪木を国賓級の扱いで迎えたと言う。 

 イラクでのスポーツと平和の祭典は12月2日、3日の両日に渡りイラク人観衆、邦人人質と人質被害者家族が会場を中心に向き合う中で始まり、ロックコンサートと、日本の大太鼓を初めとする伝統芸能や空手トーナメント、そして最後にプロレスが行われ無事終了し平和の祭典は成功を収める一方、イベントの間に家族の面談は許されたものの解放までには至らなかった。 

 焦りと落胆の中、帰路に着くべく機中に着いた時、フライト直前の猪木にイラク政府から「大統領からお話があります」と告げられ急遽猪木だけ飛行機を降り、この結果まず12月5日在留邦人の解放が決まり、7日には人質全員の解放が決定する。 

 各メディアは人質の解放の事実だけを伝えて、解放に至るまでの経緯や事の真相に触れるマスコミは殆ど無かった。 

 猪木はかつて新日本プロレスのパキスタン遠征において、格闘技の英雄アクラム・ペールワンと対戦し腕を折るなどして勝利を収めると一躍国民的一大事になり、大きく紹介されるなど猪木はアラブ諸国において英雄として扱われていた事が、イラクへの入国と人質解放に向かわせた大きな要因と言える。

以上、ウェキペディアより抜粋。

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